さて、米軍空挺部隊の重要な攻撃目標のひとつ、サント・メール・エグリーズでは、ちょうど町の教会そばの屋敷が火事であり、一般の消防隊や町民の他に独軍守備隊も警備や消防活動に出動していた。映画や小説で有名な場面だが、そこに第82空挺師団第505パラシュート(落下傘歩兵)連隊第2大隊F中隊の兵員たちは降下していき、当初は一方的な反撃を受け多くの戦死者を出した。
しかし第82空挺師団のエドワード・クラウゼ中佐に率いられた第505パラシュート(落下傘歩兵)連隊は、6日の早朝にはサント・メール・エグリーズを占領し重要な通信施設などを確保、同地は連合軍の侵攻によって解放されたノルマンディ地方の最初の町となった。
また、ここの教会の尖塔に引っかかってしまったジョン・スティール二等兵の話は広く知られている。2時間以上も死んだふりをしてぶら下がっていた彼は、直後に独軍の捕虜となるが、数日後に脱走に成功する。足に怪我をしていた彼は英国の病院での治療を経て部隊に復帰、その後も幾多の戦闘に参加しながら大戦を生き延びるのだ。(現在、サント・メール・エグリーズの教会には人形の落下傘兵がぶら下がっている)
本来の目標地点から遠く離れた場所に降着し、方向を見失った空挺部隊の将兵たちは、暗闇の中で右往左往しつつ徐々に集合しながら「銃声の聞こえる方角」に向かって移動し始めていたが、未だに有効な戦力といえる程の組織力は発揮出来ずにいた。
そしてこの降下直後の時間帯においては、あまりの極限状態の中で、相手を確認しているにもかかわらず敵味方双方が銃火を交えずにすれ違ったり、互いに踵を返して遠のいたりしたとの逸話は枚挙に暇がない。
第82空挺師団に臨時配属されていた第508パラシュート(落下傘歩兵)連隊第3大隊の本部中隊長マルコム・ブラネン中尉は、移動の途中で合流した4名の兵士とともに完全に迷子となっていた。やがて出会い頭に遭遇した独軍のスタッフ・カーのホルヒを銃撃したところ、一人の将官を射殺してしまった。そしてこの将官が独軍第91空輸歩兵師団長のヴィルヘルム・ファライ少将だったのだが、全くの予期せぬ出来事であった。
逆に、連合軍側でも将官の戦死者が空挺部隊にいた。第101空挺師団の副師団長、ドン・プラット准将は、搭乗していたグライダーが着陸時に大破し機体の下敷きとなって圧死したが、彼がノルマンディー上陸作戦で最初の連合軍側の将官級戦死者である。
プラット准将はグライダーの着陸時における数少ない死傷者の一人であったが、第101空挺師団のグライダーの多くがイースヴィルの着陸予定地かその近辺に降着したが、その多くが何らかの破損をしていた割には搭乗の兵士や積載物は比較的良好な状態であった。
ところが第82空挺師団のグライダー部隊は、第101空挺師団と比べて実に不運であった。50機にのぼるグライダーの内、当初計画の着陸地点に到達したものは半数にも満たない状況で、多くがノルマンディ特有の生垣や建造物の上へ、そして川や沼へと落下した。積載物は失われ、兵員たちの損害も甚大であった。
とにかく分散してしまった米軍空挺部隊であったが、指揮官不在の状況でも少数の単位でよく戦い、何とか任務を達成しようと果敢に行動していた。そして皮肉なことに、広範囲に降下してことで、独軍に上陸目標地点の予測を誤らせる効果を発揮するという、怪我の功名的な成果を上げたりもしている。
尚、この時に米軍空挺部隊に配られた敵味方識別用の音の鳴るブリキの玩具「クリケット(コオロギ)」は有名となった。クリックにはクリック(1回には2回、2回には1回)か合言葉で答えるのだが、当時、辺りはクリケットの鳴る音だらけだったという。