6日の深夜0時16分(00:16時)、ハワード少佐および第1小隊を載せた1番機(グライダー92号)は、目標となるペガサス橋からわずか47mの地点に着陸し、着地の衝撃から回復した彼らは直ちに行動を始め、川の東側にある機関銃を備えた堅牢な監視所に手榴弾を投擲、攻撃を開始した。
この時、攻撃に参加していたデン・ブラザーリッジ中尉は首を撃たれて重傷を負い、その後に死亡した彼はDデー最初の連合軍戦死者となったと云われている。そして第1小隊が交戦中に第2小隊の乗る2番機が着陸し戦闘に参加、彼らは東端を制圧した。
橋の西側を攻める第3小隊は不運なことに、搭乗のグライダーが大きく破損し多くの兵員(12名とも)が残骸に取り残され、1名が溺死した。しかし第3小隊は指揮官スミス中尉が戦死したにもかかわらず果敢に戦い、橋の西端を確保した。
この戦闘の最中に、英軍第249空挺野戦工兵中隊所属の工兵が、独軍の激しい銃撃の中、橋を捜索して導火線と起爆装置を発見、これらの撤去に成功する。
一方、ホーサ橋の方は、フォックス中尉率いる第6小隊によってわずか10分以内に制圧・確保され、彼らは直ちに防御態勢を敷いた。
その直後に第5小隊が到着したが、既に橋は第6小隊によって確保されていた。残りの第4小隊のグライダーは、目標降下地点から約13kmも離れた地点に着陸した為に、作戦に参加出来なかった上に4名もの隊員が死亡した。
こうしてD中隊はペガサス橋を確保し、B中隊の一部はホーサ橋を占拠。ハワード少佐は成功を意味する暗号「ハムとジャム(Ham and Jam)」を送信することが出来た。ちなみにハムはペガサス橋、ジャムはホーサ橋の暗号名称である。
さてグライダーによる急襲部隊の強行着陸はほぼ成功裏に遂行されたものの、落下傘降下による空挺部隊は広い地域に拡散してしまった。しかし午前3時(03:00時)頃には後続の第5パラシュート(落下傘歩兵)旅団第7空挺大隊の主力が到着した。
当初、ハワード少佐の急襲部隊を支援する為に目標の二つの橋の付近に集結した第7空挺大隊の兵員は600名余で、迫撃砲や重機関銃といった武器を持たなかったが、彼らは6日の夜まで、この地点を守り抜いた。特にA中隊はベヌーヴィルの近くの村に拠点を置き、最も激しい戦闘に耐えた。
A中隊は21時頃まで持ちこたえ、第2歩兵連隊ロイヤル・ウォーウィックシャーが海岸から上陸してベヌーヴィルの守備を引き継いだが、A中隊は死傷者が多かったため大隊から分離の上で撤収とされたが、生存していた残存者20名は継続して任務を続けた。
また、第5パラシュート(落下傘歩兵)旅団の他の大隊、第13空挺大隊はランヴィルの町の周辺に展開、同第12空挺大隊はランヴィル南方に布陣した。その後、第12空挺大隊は6日中に何度か独軍(第21機甲師団など)に攻撃され、かなりの損失を出したにも関わらず守備地点を守り抜いた。