【ノルマンディー上陸作戦70周年記念(5)】 6月6日Dデー・・・上陸作戦当日・前編 〈3JKI07〉

英軍は、短いが激しい戦闘の末、メルヴィル陣地にある4ヶ所の砲台を占領することに成功する。そして砲を破壊する為に、彼らには工兵がおらず、また専用の爆発物が届いていなかったので、落下傘歩兵が所持していた対戦車爆弾ギャモン(82型対戦車手榴弾)を使って爆破したのだ。

午前5時(05:00時)頃には陣地は英軍が制圧したが、最終的には英軍空挺隊員の70名以上が死傷した。一方、ドイツ軍陣地の守備隊は全滅し、捕虜の22名を除く108名が死亡したと云われている。

午前5時15分(05:15時)頃、約束の時間のわずか15分前に、オトウェー中佐は攻撃成功を知らせる信号弾を打ち上げ、観測機経由でこの連絡が軽巡洋艦アレスーザに届くというきわどい結末であった。(オトウェーは信号弾が見落とされた場合を心配して、任務成功の暗号を持たせた伝書鳩も放したという)

ところが作戦終了後に、砲座に据えられていた砲が150mmカノン砲ではなく旧式のチェコ製100mm軽榴弾砲であった上に、何れの砲台からも上陸予定の海岸が死角となっていたことが判明した。(その後、オトウェーの部隊は命令により他方面へ転進、一時、この陣地は独軍の逆襲にあい逆占領される)

しかしながらこの突入作戦は、少人数による陣地攻略作戦として、英軍空挺部隊の歴史で最も優れたものの一つと考えられている。

ディーヴ川とディヴェット川の東側に位置する独軍部隊が、英軍やカナダ軍空挺部隊とソード・ビーチの連合軍上陸部隊に対して、強力な迎撃を実施することが上陸作戦の事前から予想されていた。

この為、第3パラシュート(落下傘歩兵)旅団の第8空挺大隊とカナダ軍の第1空挺大隊には、この二つの川に架かる橋を爆破する使命が課せられていた。(ディーヴ川はカーン運河から東南東9~10km、ディヴェット川はカーン運河から8kmほど東方に位置している)

具体的には、ヴァラヴィルやロベオム、ビュール、そしてトロアルンの町に近い5つの橋を破壊することが必要であるとされた。

そして爆破の後、ランヴィルから南東へ約5kmの地点にあるバヴァンの森を経由して、二つの小さな町、ランヴィル南東約3kmのル・メニルと、ランヴィル北東約2kmのル・プレインを急襲して確保、その地点で戦線を維持することも命令には含まれていた。

そして6日の夜明けまでに、作戦参加の各部隊はランヴィル地域を制圧下に置いて、更に独軍の反攻を阻止するためにランヴィル東・東南部の高地の占拠が重要とされた。この地域が敵の勢力下にある場合、上陸部隊と空挺部隊の東側面に深刻な打撃が加えられる恐れが予想されたからだ。

カナダ軍第1空挺大隊A中隊は、一旦、第9空挺大隊のメルヴィル陣地攻略を支援した後に、ル・メニルまで移動した。

同大隊B中隊は支援の工兵小隊と共に、ロベオムの近郊の橋梁を爆破する為に作戦を開始したが、湿地帯に降下したために溺死者が出たり、重火器や重要な装備品を廃棄せざるを得なかった。しかしその後、連続した小規模の戦闘の結果、橋の破壊に成功する。(午前6時頃に爆破。ここでも専用の爆薬が届かずに、対戦車爆弾ギャモンで代用したと一部の資料にある)

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