同じくC中隊は最も早い時間帯に降下を開始した。彼らの目的は、独軍の司令部所在地の攻撃やヴァラヴィル近くのディヴェット川に架かる橋の破壊を実施することであったが、彼らも目的の橋梁の破壊に成功した。(13時頃に攻撃成功との文献がある)
第8空挺大隊の隊員たちは、最大で予定の降下地点から西方に約11kmも離れた地点に降下した。その為、散り散りとなった彼らが集結するのは大変困難であった。
しかし、この第8空挺大隊に所属していた降下工兵の分遣隊は意気盛んで、二手に分かれた一部が少人数の同大隊の落下傘歩兵とともに第1空挺大隊の前衛隊の支援を受けてビュールの橋を計画通りに破壊した。(爆破成功は9時15分頃といわれている)
そして残りの一部、ジョン・ローゼヴェアーレ少佐率いる数名(7名との説あり)は、一台のジープに搭乗し各自が携帯した軽機関銃をド派手にぶっ放しながらトロアルンの町の独軍守備隊の真っ只中を通り過ぎ、混乱に乗じて目標の橋を爆破、6m以上の穴をあけた上でさっさと撤退した。途中でジープから投げ出された1名(ピーチー軍曹)が捕虜となったものの、他は全員生還する。
どうもローゼヴェアーレ少佐とその仲間たちには、この頃の第8空挺大隊のトロアルン攻撃に関する動向に関しての情報がなく、友軍との連絡確保や強行偵察のつもりで乗りつけた延長線上の行動であったのが、戦場でよく見られる破天荒な行いが予想以上の成果を上げた、格好の事例となってしまったようだ。
尚、ローゼヴェアーレ少佐のチームが突入した当時、第8空挺大隊はトロアルン制圧のための人員が揃っておらず、攻撃が開始出来ずにいたようだ。後に別の部隊がトロアルンに進出、橋を再度、爆破している。
以降、第8空挺大隊の主力は、トロアルンより1.6kmほど北方のバヴァンの森の南側に陣地を構築、ここで反撃の独軍を迎え撃った。
いよいよ次回からは、連合軍地上部隊の上陸作戦当日の様子を描いていく。
「オマハ」海岸で苦戦する米軍、そして米レンジャー部隊の健闘。また英軍の特殊機甲部隊(ホバーズ・ファニーズ)の活躍や英コマンド部隊の快進撃など、上陸当日の前半時点での各部隊の奮闘を順に取り上げる予定だ。
-終-
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