さて予算の関係で、レコード以外のソースの再生を諦めていた第1段階のステレオセットに、ようやくにしてチューナーとカセットデッキを追加(次々回で詳しく紹介)したのは、大学に進学(1979年~)して長時間アルバイトが可能になってからであった。
それまでは、古いFMモノラルラジオ(ソニーの「ソリッドステート11(二代目)」TFM-110F、1967年発売・定価¥14,500-、リンク先に写真あり )でFM番組を聴いていたが、1976年頃からはジャズ評論家、油井正一氏の『アスペクト・イン・ジャズ』(FM東京、毎週火曜日夜10時から11時でOP曲のジェリー・マリガン(Gerry Mulligan)の〈Prelude In E Minor〉 が印象的)やその他の音楽番組を愉しみにしていた。
特に『アスペクト・イン・ジャズ』における“ヒストリー・オブ・ジャズ”シリーズは体系的にジャズの歴史を学ぶ、この当時の筆者にとっての最大の教材であったと断言できるし、今でも同世代の(特に地方出身者の)ジャズ・ファンは皆、この意見に賛成の様である。
他のジャズ番組としてはNHKのFM番組『ゴールデン・ジャズ・フラッシュ』があったが、1970年代のレギュラー放送では確か日曜の午後9時から始まるプログラムで、ジャズ評論家の本多俊夫氏、いソノてルヲ氏、行田良雄氏に児山紀芳氏といった面々が毎回持ち回りで解説者を担当していた。OP曲は、ジーン・クルーパ(Gene Krupa)の〈シンフォニー・イン・リフ(Symphony in Riffs)〉である。また、担当の解説者によって多少選曲などの傾向が異なるのは当たり前としても、この番組でもジャズの歴史的発展の経緯や各々のジャズ曲の流行った時代背景等、更に其々のプレーヤーの経歴やその生涯などを体系的に解説してくれていた。
その他には、FM東京の『渡辺貞夫マイ・ディア・ライフ』をよく聴いていた。小林克也氏が番組パーソナリティを担当していた番組で、1972年から始まり1989年まで続いた人気番組であった。スポンサーは資生堂(男性化粧品の『ブラバス』ブランド)で、当時の“ナベサダミュージック”(ボサノバに西海岸風フュージョン曲やアフリカンなワールド・ミュージック)を中心にプログラムが組まれていた。
ところで渡辺貞夫さんの(サックスの)演奏に関しては初めは特に好きでも嫌いでもなかったが、後に自身でサックスを吹くようになってからは(ナベサダの)ミストーンが気になって、あまり好きではなくなる。特に正統派のジャズ曲を吹く時の、彼のあのギスギスと鳴る音はいただけない。もともとクラから入っているハズなのにリードのコントロールが甘くて、演奏に出来・不出来の差が生じるのだ…。だが、『マイ・ディア・ライフ(My Dear Life)』の頃の彼の作品はよく聴いていたし、現在でもその当時のLPは4~5枚は持っている。つまりパーカースクール流に吹かないというかメインストリーム系4ビートジャズではない、あの頃の時流に乗ったカラッとしたフージョンを演っていた時のナベサダの方が好きだったのである…。
と余談はここまでとして、当時、何と言っても毎日欠かさずに聴いた音楽番組はジャズ専門ではないが、城達也氏がパーソナリティ(1967年7月 – 1994年12月)を務めていた『JET STREAM(ジェット・ストリーム)』だ。イージーリスニングやポップス全般をゆったりと流していて、城さんの心地良い美声と相俟ってその後も長寿番組として絶大な人気を得ていた。
後年の伊武雅刀氏(2002年10月 – 2009年3月)の同番組もまぁまぁの仕上がりではあったが、初代の城さんのあの名調子にはかなわない。本稿の読者の中でも、同番組のOP曲に使われたフランク・プゥルセル・グランド・オーケストラ(Franck Pourcel Grand Orchestra)の〈ミスター・ロンリー(Mister Lonely)〉を懐かしむ方も多いことだろう…。
FM以外の中波(AM)の番組としては、何と言ってもFEN(1997年まではFar East Network/極東放送網、現在はAFNといい海外駐留米軍向け放送網のこと)を良く聴いていたのを覚えている。英語力が特に高い訳でもないから、曲名と演奏者の名前を聞き取るのがやっとだったが、結構、色々な曲を流していた。但しこの頃は、少し古い楽曲(ビ・バップ~ハード・バップ期)よりもフュージョン系のものが多かった様な気もする。その他としては、ラジオ関東の『ミッドナイトジャズ』を覚えている。この番組も本多俊夫氏がDJで、またチコ・ハミルトン(Chico Hamilton)の〈ブルー・サンズ(Blue Sands)〉が番組テーマ曲となっていて印象深いが、記憶が曖昧なところもあり、筆者が実際に聴いていたのは高校生の頃ではなく中学生かひょっとして小学校高学年以前だったかも知れない。
尚、ラジオの音楽番組と共にジャズに関する知識を授けてくれたのは、やはりジャズ関連の雑誌と専門書であったが、これらに関しては後程の回で詳しく触れたいと思う。
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