【ライバル対決】 独軍 シュビムワーゲン vs 米軍 フォードGPA 〈3JKI07〉

フォードGPAの舟形車体がよく判る写真

フォードGPA(Ford GPA(Ford General Purpose Amphibious)とは、フォード社によって開発された米軍の水陸両用車輌である。より大型の“DUKW”と並び、米軍の水陸両用軍用車を代表する存在であり、「海のジープ」を意味する“SEEP”(Seagoing jEEP)、または「Ike’s invension Taxi(アイゼンハワーの大陸反攻用タクシー)」という愛称で親しまれた。

※車名にあるGPAとは、“Genral Purpose Amphibian(水陸両用多用途車)”の略称である。

※ドワイト・デビッド・アイゼンハワー(Dwight David Eisenhower、1890年10月14日 – 1969年3月28日)は米国の軍人で政治家、最終階級は陸軍元帥。第二次世界大戦の後半、欧州戦域の連合国軍最高司令官、並びにノルマンディー上陸作戦を含む大陸反攻戦からドイツ降伏に至る時期の連合国遠征軍最高司令官を務め、後に米国陸軍参謀総長などを経て同国第34代大統領に就任した人物。

さて第二次世界大戦の勃発直後、米軍においても独軍と同様に小型の軍用水陸両用車の開発が急務と考えられ、軍部は1940年後半には1/4t(250kg) タイプの水陸両用車の開発の指示を発したのだった。

この時の水陸両用車の要求仕様は、4輪駆動で車高が1,020mm以内、1/4t(250kg)トラックと同等の不整地走行性と整地の走行性を有し、乗員3名に軽機関銃と弾薬2,000発を積載可能なものとされた。また水上での航行速度は時速 8km以上とされ、陸上走行から水上航行への切換えは「1分以内」に行なえることが条件となっていた。しかし後にこの切り換えに要する時間の条件は、「可能な限り短い時間に」と緩和されて、水上航行における速度も「静水で要求される速度は、時速 8km」に変更となった。

1941年1月には、概略ではあったが水陸両用型の軽軍用車輌の試験設計が完成したが、最大重量の制限問題は前回の記事で示した通常型ジープの開発の経緯と同じ事情(逐次条件緩和)を辿っていった。

また米軍は当初、マーモン・ハリントン社とフォード社に設計を依頼したが、マーモン・ハリントン社の設計案である“QM-4”は、一体型の舟形車体を有した車輪付きの小舟”とも呼ぶべき代物であったが、一方のフォード社の案は既製の“フォードGP”のフレームに舟形車体を載せた様な水陸両用車であり、両社の設計案には互いにそれなりの優位性があったが、両社共に制限重量面では軍部の要求仕様を超過しており、米軍はマーモン・ハリントン社の設計案をベースとしながらも、それをフォード社の案と統合した形で車輌を開発することを両社に要請した。

通常のジープと並ぶGPA

以後、正式名称を「Ford GPA(Ford General Purpose Amphibious:フォード水陸両用汎用車) “フォードGPA”」と命名された改訂設計案の車輌は、軍部の要求である「“フォードGP”(既製のジープ)と可能な限りの部品の共用性があること」という点を達成する為に開発が難航し、結果的には新たに設計されたモノコック式舟形車体にフォードGP”のエンジンと走行装置を組み込んだ形で完成し、1942年4月には試作車が屋外での水上走行試験に成功、1942年4月17日には制式採用された。

だがここでも、通常型ジープの開発や生産で行われた様な不可解な行為が見受けられ、マーモン・ハリントン社と共に設計・開発を担い試作に成功したスパークマン・ステファンズ社の2社は試作車製作以降はこのタイプの開発・製造プロジェクトからは締め出されて、量産契約を獲得したのはフォード社のみであり、制式採用以前の4月10日にはフォード社に対して5,000台の量産発注が行われていたのである。

その後しばらくの間、フオード社は技術面や製造面で多くの課題に直面して“フォードGPA”の納車は遅れがちであったが、これも次第に解決してやがて量産化は順調に進み、1942年5月には月産3,000台の生産数を達成し、1943年の半ば頃までには生産台数の合計は12,788台に及んだ。

こうして納入された“フォードGPA”は、米本国及び英国において各部隊への配備と導入訓練が行われた後、早くも1942年11月の北アフリカ侵攻作戦に一部車輌が参加、翌1943年からは本格的に実戦部隊への配備が開始された。

1943年7月に始まった連合軍のシチリア島上陸作戦である『ハスキー作戦(Operation Husky)』、及び同年9月よりのイタリア侵攻作戦では、多数が使用されて作戦に貢献したとされ、翌1944年の6月のノルマンディ上陸作戦にも数多くの“フォードGPA”が投入された。

しかし実際に前線で運用され始めると、“フォードGP”に比べて車体重量が大幅に増加していることが原因で走行性能が著しく低下しており、エンジンのパワー不足で通常の陸上走行時における性能に乏しいとして、前戦での将兵からの評価は芳しくなかったとされる。

水上を隊列を組んで航行中のGPA

その後、より大型で水陸両用型 2.5t トラックである“DUKW”が普及してくると、“フォードGPA”は水陸両用の輸送車としては補助的な任務しか与えられなくなった。

また水陸両用の性能を生かした偵察車両としては、既述の通り陸上での走行性能が劣ることに加えて、偵察車両としては車体が大き過ぎて隠蔽性が低く小回りの効いた運用も難しい為に、この“フォードGPA”は急激に活躍の場を失うことになっていく。尚、米海兵隊でも配備が進められたが、小型な“フォードGPA”は波が高い海上での運用には不安があるとして全面的には採用されなかった。

この様な状況から、その生産は1943年6月前後には12,700台余りで打ち切られ、またその半数はソビエト連邦へのレンドリースに供されたとも云われる。

第二次世界大戦後の“フォードGPA”は、西側諸国に少数が供与された他、残りの多くが民生用に払い下げられて、港湾作業用やレジャー用として幅広く利用された。現在でも、その特徴的なデザインと水陸両用の機能故に、個人で所有して活用している自動車ファンも存在している様である。

【“フォードGPA” 性能諸元】
全長:4.62m、全幅:1.63m、全高:1.14m(窓ガラス上昇時は1.75m)、車重:2.018t
製造:フォード社
製造台数:1943年6月頃までに12,788台
エンジン性能:水冷式 直列4気筒4サイクルサイドバルブ、排気量 2.199cc、60馬力
ギア/トランスミッション:前進4段 後退1段、リジットアクスル式リーフスプリング・パートタイム4輪駆動方式

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