龍と皇帝の関係、そして龍服の変遷
爪(指)の項でも述べた通りに、古代中国において龍は皇帝(天子)の権威の象徴でした。漢(前漢:紀元前206年~8年と後漢:25年~220年)の時代には、(司馬遷の「史記」における劉邦出生伝説に関しては -前編- に譲りますが)現在の私たちが認識している龍の外見と性格のほぼ全ての要素が基本的には出揃いました。しかし後漢以降の時代になっても、龍と皇帝との繋がりは強まったり弱まったりと不安定で、元の代において初めて龍の爪の数と階級の関連性が定められます。
異民族の王朝である元は、権力の象徴である龍と鳳の使用権を独占して、臣下には使わせない形を取りました。彼らは北宋において皇帝の龍を「五爪二角」と定めたことを受けて、延祐2年(1315年)には勝手に皇帝以外の者が龍を使用することを禁じたのです。
しかし明朝になるとその禁令は緩やかになり、例えば第3代皇帝の永楽帝/成祖(1360年~1424年)は明に友好的で従順な属国(藩国)の王に対して「金繡蟒龍」という紋様の服を授けたりもしています。
その後の清王朝では、外交で用いる為に中国の歴史上で初めての正式な国旗が作られますが、それは龍をモチーフとした「黃底龍紋」でした。こうして国の内外に中国のシンボルは龍である、との認識が深まったのです。
龍は皇帝の権威の象徴として、その衣装にも多く使われてきました。例えば色鮮やかな「龍袍(longpao)」は皇帝専用のもので、皇帝を象徴する黄色の織り地の9匹の龍が描かれています。もちろんその龍たちは、5本の爪を持った皇帝にしか使うことが許されなかったものです。その服の龍の紋様の周辺には瑞雲がたなびき、裾には財宝を生み出す波が広がり、そしてその真中には大宇宙の中心と考えられた崑崙山がそびえ立っています。
また皇帝の龍とは別に、明や清の時代には各王朝の官吏たちの服の正面には、その位を示す階級紋様が縫い付けられていました。例えば、文官の第一位の者には「鶴」、武官第一位の場合は「麒麟」というようにです。そして文官には鳥が、武官には創造上のものも含めて動物が用いられていました。
ところで、古代中国および東アジア諸国の王や皇帝の礼服である「袞衣(こんえ、こんい)」に用いられる模様に「十二章」と呼ばれる文様があります。
- 日、2.月、3.星辰、4.山、5.龍、6.華虫(雉の雛。鳳凰とする説もあり)、7.宗彝(祭祀で使う酒器)、8.藻、9.火、10.粉米、11.黼(斧の形)、12.黻(亞字形)、の12種類です。
これら十二章は、皇帝(我国の場合は天皇)が祭事などの重要なイベンで着る礼服を飾る、君子の備えるべき徳や行うべき行為を示した文様とされます。その一つが龍の文様であり、神意を表し、また龍は変化することから君子も時勢に応じて柔軟な政治をするべきという意味でもありました。尚、この十二章は神話時代の皇帝だった「舜」が定めたとの説もあります。
唐の時代、長寿3年(693年)には位の高い宮廷人に龍服が下賜されましたが、その後の長い間にわたり、皇帝のシンボルである龍服を臣下が着る事は畏れ多いとの意見があり、やがて(前述の通り)北宋の王安石(1021年~1086年)が「五爪二角」の龍文は専ら皇帝のみの使用と定めたとされます。そして後年、元王朝の支配下、大徳元年(1297年)には臣下の使う龍の文様は胸や背に小さなもののみという規定が出来上がります。
明の代になって、臣下の者が5本爪から爪を一本減らした4本爪の龍服を皇帝から賜るようになりました。この4本爪の龍は「蠎(もう)」(蟒蛇のこと)とも呼ばれます。更に龍に似た架空の動物に「飛魚(ひぎょ)」(4本爪で胴に魚の鰭に似た羽があり、尾も魚と同じ)や「斗牛(とぎゅう)」(4本爪もしくは3本の爪で、角が水牛のように外側に曲がっている)がありましたが、龍はあくまでも皇帝だけの専有とされ、蠎や飛魚、斗牛は龍に似て非なる動物であり、これらは臣下が身に着けても良いとして身分による区別を図ったのでした。
しかし、蠎、飛魚、そして斗牛の文様を飾った衣服の乱用振りに、天順2年(1458年)には、これらの臣下の着用を戒める禁令が出ますが、なかなか効果は薄く、その後も何度かにわたり禁令が繰り返されたと伝わります。
やがて清(1644年~1912年)の時代には、蠎の模様が入った服を臣下が好き勝手に着ることが増えて、龍紋入りは皇帝の服であるというルールは有名無実化していきます。
ところで、朝鮮の王たちの服には必ず4本爪の龍が雲と一緒に描かれた金の刺繍が肩と胸につけられていました。また王世子(皇太子)は3本爪の龍を身に着け中殿(王妃のこと)は不死鳥を、王の姫や側室などは花などと、その絵柄や使われる絹糸などに関しては細かい規定があり立場に応じて厳密に区別されたそうです。
さて5本爪の龍の使用を中国の王朝から禁じられていた歴代朝鮮の王ですが、李氏朝鮮の世宗大王(1397年~1450年)の時代に上記の明の永楽帝から「五爪龍袍」が下賜されました。
「龍」の意味
旧字体では「龍」で、「竜」は「龍」の略字であると共に古字でもあるのです。「龍」は現在でも広く用いられており、人名用漢字にも含まれています。また「竜」は、西洋や中近東の「ドラゴン(dragon)」の邦訳として使用されますが、巨大な爬虫類を思わせる伝説上の生物全般を指します。そして、恐竜を始めとする化石爬虫類の種名や分類名に用いられる「ザウルスsaurus(トカゲ)」の訳語としても「竜」が用いられています。
さて「龍」が生まれた中国では、その言葉は様々な意味に使われていますが、それを幾つかご紹介すると、先ずは純粋に「龍」のことを意味する場合です。これは中国古代の伝説上において、雲を起こし雨を呼び、万物に利をもたらす神獣・瑞獣とされたものです。また麟虫の長とも云われますが、『礼記』の礼運篇では、変幻を表す「応竜(おうりゅう)」と信義を表す「麒麟(きりん)」、平安を表す「鳳凰(ほうおう)」、そして吉凶を予知する「霊亀(れいき)」は合わせて「四霊」と呼ばれました。また「四瑞(しずい)」とも、更に「四神」という場合もあります。
次は皇帝(天子)の呼称を表す場合です。中国の古典には「飛龍は天にあり、大人を造る」という文章があり、また「飛龍は天にあり、なお聖人はこれ王位にある。」という古文も見られます。(例え母親でも)他人は皇帝に対しては決して彼の本名を口にすることは禁忌であり、通常の二人称を使って呼びかけてもならず、また皇帝のことを話す際には、「陛下」や「皇上」、「天子」などと呼び表すことになっていました。そこで龍に喩えて婉曲に言及することもしばしばあったのです。
その他としては、優秀な人や馬などを形容する言葉として使われました。「深山の大沢にて、龍が生まれた」(『左傳』)などの言葉もあり、優秀な人材が多数集まっている場所を「臥龍蔵虎」と表現したりします。同じく「龍虎」など、虎と対になって使われることが多いですね。駿馬の別称でもありました。『周礼』によれば、馬のなかでも8尺以上の立派な(駿足の)大馬を龍といいます。そう云えば、孫悟空が活躍する『西遊記』に登場する(三蔵法師の乗馬である)白馬も、龍神の子『玉龍』が変身した姿ですね。
そして既に述べたことと重複しますが、「龍」は自然現象や地形を表す言葉としても頻繁に使われます。うねった山脈を龍に例えたり、緑豊かで水が豊富の山あり河ありの景色を「龍脈」の地と呼んだりします。
さて以上で、龍の創造 -後篇- を終わりますが、また別稿にて、「龍」のお仲間である創造上の神獣・瑞獣をご紹介したいと思います‥‥。
-終-
龍の創造 -前篇- (東洋/中国における龍の成立の背景と過程)・・・はこちらから
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