フライトジャケットに関する記事が好評だったので、今回は代表的なフィールドジャケットやシェルパーカについて、ご紹介しよう。
今やカジュアル・ファッションには欠かせないアイテムばかりだ・・・。
M-43 フィールドジャケット
WWⅡ時代を代表するフィールドジャケットがM-43で、人気のM-65の原型とも言える。 ノルマンディー上陸以降の米国陸軍部隊にとって、M-41(M-43の前身モデル)では野戦戦闘服としては色々と能力不足であり、また冬季を迎えるにあたり欧州中・北部の寒冷な気候には不向きなことは明らかであった。そこで1944年秋になり、新型戦闘服テストの結果、新しいM-43が欧州戦線に支給され始めた。
1944年1月からイタリア戦線で実戦テストを受けてその結果が良好だったのだが、受け入れ側部隊の意向や空挺部隊などへの支給が優先されたことなどで、全部隊に行き渡るのは少々遅れたようだ。 M-41の後継タイプとして開発されたこのジャケットは、広い範囲の気象条件・温度帯での着用環境に対応する為に、重ね着を前提としたゆったりとした若干大きめのサイズが特徴的で、素材そのものの保温性ではなく、コットンサテン製のシェルとパイル地のライナーを重ね着することで空気の層を作り保温性を高める「レイヤー」方式を採用したのだが、以後これが世界的に野戦戦闘服のお手本となる。
M-43自体は、丈夫な緑がかかったオリーブドラブ(OD)色のコットンサテンで製造され、前タテや襟元の工夫により防風防寒性能が高い。また大きなポケットが両胸と腰部分に合わせて4つあり、それをフラップで止める形の大変機能的なモデルだ。
裾はM-41の反省から腰まで覆う身丈となり、ドローコードで調節しフィット性を高めている。シングルブレストの前合わせは6個のプラスチック製隠しボタンで閉じる方式。襟は通常は開襟着用だが、寒冷地ではボタンで喉元まで閉じることも出来る。肩にはショルダーストラップが付いていて、襟側をボタンで留め、袖口にはカフがあり袖丈は二つのボタンで調節が可能で温度調節や運動性に優れていた。また、裏地はコットンポプリン製だ。 寒い時は上述の通り、パイルライナーを重ね着する仕様で、M-43のライナーはジャケットに固定されているわけではなく、ただの重ね着。そしてM-43と後継モデルのM-50との比較だが、両者の外観は同一だがM-50にはジャケットの内側にライナー取付用のボタンが付いていた。つまりライナーをジャケケットに固定出来たのだ。
このフィールドジャケットで確立された「レイヤー」方式の発想は、なんと言っても現在のアウトドアー衣料の基本になっており、非常に重要な被服文化上での進歩であった。更に、M-43の基本デザインはWWⅡ以後も継承され、M-51、そしてM-65へと進化しながら続いていく。 ちなみに同時期に開発された短上着スタイルのM-44フィールドジャケット、通称「アイク・ジャケット」は単独での着用も当然可能だがM-43のインナーライナーとしても使用可能。アイゼンハウアー将軍が着用して有名になったあれ、である。
M-43の着用が観られる映画はたくさんあるが、ここではTV番組シリーズの「バンド オブ ブラザース」をお勧めする。WWⅡにおけるノルマンディー上陸前夜の敵中降下から終戦までの、米軍第101空挺師団のある中隊の苦闘と隊員達ちの絆(バンド)を描いた連作だ。スピルバーグとトム・ハンクスが製作総指揮を勤めていて、「プライベート・ライアン」で確立したリアルな戦闘シーンの描写が活かされている。特に行動する兵士の視点で撮影したスリリングな描写と、兆弾の乱れ飛ぶ表現がスゴイ。但し正確な考証としては、マーケット・ガーデン作戦あたり以降からがM-43の着用と考えられる。
M-51 フィールドジャケット
M-51 フィールドジャケットは、米軍の冬期/寒冷地用防寒戦闘服だ。1950年代初めに採用され、マイナーチェンジを繰り返しながら1964年頃まで生産され続けた。軍規格(milspec)は「mil-c-11448」、正式呼称は 「COATS, MAN’S, FIELD, OLIVE GREEN 107, M-1951」である。
外観は、M-43のデザインを引き継ぎ、後のM-65に至る米国陸軍フィールドジャケットの一連の形式を踏襲している。
オリーブグリーン(OG107)色のコットンの生地に、肩にはエポレット(肩章:ショルダーループ)があり、胸部にはマチ付きの大型貼付けポケット、両腰のポケットは内側に内張り起毛のフランネル素材を貼ったフラップ付きポケットを装備しハンドウォーマーとしても機能する。
M-43からの変更点は、前あわせがスナップ式のドットボタンと大型のファスナーによる二重閉じが採用されていることだ。また腰と裾には絞りのできるドローコードが付いているが、M-43や後継タイプのM-65とは異なりドローコードの端はジャケットの外側に出ている。
寒冷対応としては、M-43でも使用されていた汎用のパイルライナーを内側に装着する仕様。このライナーはコットンポプリンの生地に人工ファー「チント」(よくアルパカのライニングなどと紹介されているが実際は違うらしい)を張ったジャンパーのようなもので内装などにヴァリエーションが多かった。前合わせはボタンとループで留める。襟と袖口はニットで出来ていた。
更に防寒機能を高めるには、襟まわりに専用のプレーンなフード、またはM-51パーカと共用のファー付きフードを取り付けることが可能である。 M-51は素材がコットン100%なので着易い反面、脱色や劣化が激しいことが欠点で襟や袖口などがほころび易かった。
M-65にバトンタッチするまで10数年以上製造されていた為、時期により裁断パターンや細かな仕様の変更、規格の見直しが為されている。特に際立った変更は50年代最末期から62年頃に顕著の模様。その時期を境に前期型、後期型と区分される場合が多く、10年近く大きな変更が無かった前期型のみに見られる特徴としては、M-43から受け継いだ左右フロント、左右サイド、背面の5分割裁断が有名。対して、僅か若干年でM-65に移行する事になった後期型は、主に襟の形態に特徴があり首元に遮風フラップ(チンストラップ)が復活している。
またM-43に見られるようなライニングの裾処理が開放型になり、ポケットも単純なツイルの生地で簡素化された。更にこの後期型のM-51では、新たに開発された熱帯地域用作業着(通称ジャングルファティーグ)と共通のボタンが採用された。
64年つまりM-51の最終年次モデルでは、CTN/NYLON(コットン/ナイロン混紡)生地バージョンが採用され、これはM-65と同様の生地である。外観上の変更は皆無だが、ナイロンが混ざったこの生地は大変丈夫でM-51の弱点である襟や袖口などのほころびに強い。
←映画「M★A★S★H マッシュ」より 「M★A★S★H マッシュ」は、朝鮮戦争当時の野戦病院を舞台に3人の軍医のハチャメチャぶりを描くブラック・コメディ。
↑陸軍入隊時代のエルビス・プレスリーのミニ動画。彼のM-51はM-43の流れをくむ5分割裁断の前期型タイプだ。
M-51 パーカ
M-51パーカは「踊る大捜査線」の青島コートで有名だが、我が国では「モッズコート」として知られている。その由来は一般的に英国のモッズ達ちに愛用されたことから「モッズコート/パーカ」と呼ばれた。 軍規格(milspec)は「mil-p-11013」、正式呼称は「PARKA SHELL M-1951」となっている。
本来、フィールドジャケットの上に羽織っての使用を想定し、当然ながらフィールドジャケットよりひと回り以上大きい。襟にはコヨーテ・ファーのフードが縫い付けられ、フラップ付き大型ハンドポケットが両脇に設置されている。
また両肩はエポレット(肩章:ショルダーループ)となっている。生地はオリーブグリーン(OG)色の薄手のコットンナイロン地だが、厚手のコットンサテンのものも多く見られ、正面は大型のスライドファスナ(ジッパー)およびスナップファスナ(ドットボタン)によって閉じる構造となっている。
また特徴として、裾の後ろが燕尾状に先割れしており、裾に縫い込まれたドローコード(絞り紐)により下腿に巻きつけることが可能だ。その裾の独特の形状から欧米等では「フィッシュテールパーカ」などと呼称されている。
特徴あるフィッシュテールを持つパーカは、このM-51のほか、前身であるM-48パーカおよびM-51の後継モデルのM-65パーカなどがある。
尚、このパーカ(シェル)には別付けとして、ウールパイル地の防寒ライナーと獣毛でトリミングされた防寒フードを装着して、より防寒機能を向上させることが出来る。
なんと言っても、このパーカは「踊る大捜査線」シリーズでの青島刑事の着用が(他を探す気にもなれない位)、有名だネ。
M-65 フィールドジャケット
M-65フィールドジャケットはWWⅡで使用されたM-41やM-43の流れを汲み、その後の代表的なフィールドジャケットM-51シリーズ(~M-64)の後継モデルとして開発された。1965年の制式採用から1990年代の終わりにデザートパターンの納入が完了するまで、大変長期にわたって米軍の第一線戦闘服であった傑作フィールドジャケットだ。
上記の通り1990年後半にM-65の米軍への納入は一旦完了するが、改めて2006年、2008年にUCP迷彩パターンのM-65が発注された。また、正規の官給品以外のものがPXなどで現在も販売されており、UCP迷彩パターンや米国海兵隊が採用する2種類のMARPAT迷彩パターン等も存在している。
尚、米軍をはじめ多くの世界各国の軍隊や警察では一部を除いた個人装備品に関して、私物を訓練や戦場などの軍務、通常の勤務などに佩用・携帯することが黙認されている場合もある。つまり現在でも、M-65タイプのフィールドジャケットが軍の現場で着用されているケースもある、ということだ。
更に、M-65のデザインは他国のモデルにも強い影響を与え、米軍のみならず広く旧西側陣営の軍隊に類似のものが採用された。また皮肉なことに、国際的なテロリスト集団などにも使用されている。
長期間、多くの会社によって製造されたことでM-65にも多くのバリエーションが存在するが、正規納入されたものの素材の多くは綿(コットン)とナイロンの混紡だ。1965年当時としては最新の素材であったナイロンを使用し、この丈夫な素材の組み合わせはナイロンコットンと呼ばれた。
M-51からの変更点として、この生地がコットンのみからナイロンとの混紡となった事はかなり重要だ。また、かなり厚手の生地で作られているため、外見以上に着用時には重量を感じる。後期にはナイロンの代わりにポリエステル使用のものもある。
ポリエステルは型くずれし易い欠点があるが、ナイロンに比べて軽量で柔らかい。生産の際に生地表面には撥水加工が施されているが、撥水や防水性には限りがあり、原則的には雨や雪などの天候へ対応した被服ではない。
本体内側は、ナイロン製防寒用ライナーの装着が可能で、より寒冷な環境に対応できる。またライナーをボタンでジャケット本体に固定するようになっている。
また、襟の背面にあるファスナーの中に簡易フードがあり、通常は内部に収納できる仕様だ。但し、このフードはあくまで簡易用であり、別途、厚手の本格的なフードを襟に装着できるようにボタンホールとボタンが用意されている。
フロント部分はファスナーとスナップボタンのダブルで閉じる形だ。初期にはアルミ素材のファスナーが使用されたが、耐久性に難がある為、中期以降ほとんどのモデルで真鍮製ファスナーが採用された。1985年頃以降のモデルには軽量化や塩害対策でプラスティック製のものが多く採用されたが、強度的に信頼性の高い真鍮製も平行して製造が続けられた。
ポケットはフラップ付きの大型のものが正面に合計で4つあり、スナップボタンで閉じる。腰側の二つについては、当該ポケットのフタを内部にしまい込んで、開放式のポケットとしても使用可能だ。
M-65は前モデルであるM-51の多くを継承しており、類似している部分も多々ある。両肩のエポレット(肩章:ショルダーループ)は初期に製造されたモデルには無かった。
M-51には採用されていたエポレット(肩章:ショルダーループ)をあえて省略した形であったが、その後、再び採用された。オープン式の裾、これはM-65に引き継がれた。
逆にM-51と比較したM-65の変更点は、防寒対策を考慮し通常の襟から立ち襟へと襟廻りのデザインが大きく変っていること(但し通常は襟を折り開いて着用)。また、肩背中に大きくプリーツが設けられたことや、M-43から継承されたボタンで止めていた襟と袖口に「フックアンドパイルファスナー(ベルクロテープ)」が取付けられたことなどだ。
他にもドローコード関連などで細かな違いがあるが、殊にライナーに関し取り付け用ボタンの位置が異なるためM-51とは基本的にライナーの互換性が無いことは大きい。
色柄については、前半ではオリーブグリーン(OG107)色が中心であるが、1980年代初期以降、米軍の多くの装備でウッドランドパターンが採用されてからは、オリーブグリーン(OG107)色やウッドランドパターンのみならず、デザートパターンなどのカモフラージュ・タイプも広く採用され製造された。
その後、1990年頃から中東などの砂漠地帯での軍務が頻繁になり、6C(通称:チョコチップ)及び3C(通称:コーヒーステイン)といったデザートパターンも採用された。
M-65に限らないが、ファッション的な見地からみると、その最大の難点は大きくて重いこと、だろう。 本来、防寒目的でライナーなどを下に重ね着する為に、前身ごろや腕部などがかなりゆったりとしており、ジャケットスタイルとして着用するとダボッとして締りがない。またM-65の場合は背中に収納されているフードの影響で、猫背気味な印象を与え、これまた野暮である。
そこで民生用では、大胆にデザインを変更してお洒落度をUPしたり、素材の高級・軽量化やシルエットのスリム化でファッション性を強めている製造業者も多い。
また依然としてフィールドジャケットやパーカに対する民間のニーズも高い為、米国はもとより世界各国で製造が続けられ、ほぼ軍用オリジナルと同じ仕様・規格で作られた民生品も、軍の放出品やデッドストックと共に数多く流通しており、本来の耐久性や防寒性能が認められ、厳しい環境下での野外作業やアウトドアのスポーツマン、バイクのライダーなどにM-65は愛好されている。
M-65と言えば、取り敢えずは映画「ランボー」かな、と思うのだが・・・、スタローン先生はすぐに服とか引き千切っちゃうので、ジャケットを着ているイイ画像がなかなか見つからない。いつも裸のイメージが強いな、この人。
上左は映画「タクシードライバー」のロバート・デ・ニーロ。真中は映画「クレイマー、クレイマー」のダスティン・ホフマン。上右は映画「フルメタル・ジャケット」より
また、当然ながらベトナム戦争ものの映画では大概の兵士達ちがM-65を着ている。 「地獄の黙示録」「プラトーン」「フルメタル・ジャケット」「ハンバーガー・ヒル」「ワンス・アンド・フォーエバー」「ディア・ハンター」etc.数え上げたら限が無いほどだ・・・。
1983年のグレナダ侵攻が舞台の「ハート・ブレイク・リッジ」なんかはウッドランドパターンのオンパレード。 また、湾岸戦争などを題材にしたものにも、デザートパターンなどがわんさと出てくる。
M-65 パーカ
M-65パーカは、米軍の65年制式採用の極寒用野戦パーカのこと。M-65フィールドジャケットと混同されることが多いが全くの別物である。
米軍での当初の名称は「PARKA,MAN’S,M-65」であったが、70年代に入ると「PARKA,EXTREME COLD WEATHER」と表記されるようになった。 フィッシュテールなどのデザインがM-51パーカと似ていることから、このM-65パーカも「モッズコート/モッズパーカ」と呼ばれる場合があるが、実際には60年代当時の英国のモッズ達ちに着用された可能性は極めて低い。
さて、M-51パーカからの変更点に関してだが、生地の素材、色などには大きな変更点はない。 生地はオリーブグリーン(OG107)色のコットンナイロンオックスフォード織、 フラップの付いた大型のハンドポケット、フィッシュテール型の裾など、基本的には前モデルのM-51を引き継いでいるが、以下の点で大きく異なる。
それは、M-51では直接縫い付けであったフードが省略され着脱式とされたこと、肩のエポレット(肩章:ショルダーループ)が省略されたこと、裾のドローコードがコットンからエラスティック(ゴム)に変更となったこと。他にはステッチの簡略化や補強にナイロンテープが多用されていることなどの違いが挙げられる。
フィールドジャケットとパーカに関する混乱について
各々の軍用装備品(ジャケットとかパーカ、トラウザーズやベルト、雑嚢etc.)のM-〇〇は「19〇〇年(制式採用)モデル」という意味だ。だからフィールドジャケットにM-43(1943)、M-51(1951)やM-65(1965)があるし、パーカについてもM-51(1951)やM-65(1965)が存在する。
また、一層混乱を招くのは所謂「フィールドジャケット」は、時期によっては「フィールドコート “COAT,FIELD”」などと表記されているので、これまた「これはフィールドジャケットと別のものなのだろうか?」との疑問が沸くが、答えは「同一のもの」である。
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