第二次世界大戦の欧州戦線であった空の超常現象をいくつか紹介します。どの事例も複数の目撃証言があります。生死を賭けた戦場という異常な環境下ではありますが、多くの目撃情報があり、しかもその内容がほぼ一致しているのは何故でしょうか・・・?
第二次世界大戦中、バトル・オブ・ブリテンも一段落した頃、イングランド南部の沿岸地区上空をパトロール中のハリケーン戦闘機隊が、なんと、鉄十字(EK:エー・カー)を大書した三葉の真っ赤な戦闘機を発見しました。それは、第一次世界大戦時のフォッカーDr.Ⅰ戦闘機だったのですが、しかもどう見ても有名な撃墜王『レッドバロン』ことマンフレート・フォン・リヒトフォーフェン男爵(80機撃墜のトップエースで、1918年4月21日に戦死。最終階級は騎兵大尉)の搭乗機の様でした。そしてこの機の追跡を試みた何倍も優速のハリケーン数機を寄せ付けず、その旧式機は雲の間に消えていったそうです。後の戦闘詳報の報告時には、同機を追跡したハリケーン隊の多くの搭乗員たちが、同じフォッカー機を確かに目撃したと報告しています。
これに対して、独空軍側にも同様の報告が残っています。メッサーシュミットMe109Eの戦闘機隊が、英国空軍のハリケーン戦闘機隊に急降下攻撃をしかけた時、編隊の先頭に一機の真っ赤な三葉の戦闘機が何時(いつ)の間にか現れて先導していたそうです。そして、他のどの機よりも早くハリケーン隊に銃器を発砲しながら突入した後、何処(いずこ)かへと消えたそうです・・・。
また、逆に連合軍側の亡霊機の活躍も目撃されています。独軍爆撃隊へ攻撃を仕掛けるハリケーンとスピットファイアの戦闘機隊の中に第一次世界大戦で使用されたSE-5a戦闘機が参加、他の機と同じく発砲しながら敵の編隊へ突入したが、その直後に消失したと云います。これも多くのパイロットが目撃しているのですが、この時は同じSE-5aを生き残った複数の独軍側の搭乗員も確認していたそうです。
戦闘機だけではなく、爆撃機にも謎の機体が存在しました。第二次世界大戦中には英国空軍によるドイツ夜間爆撃が頻繁に実行されていましたが、英空軍の爆撃機隊の搭乗員たちが多く見かけたのが「熱い奴」と呼ばれた、ある一機のアームストロング・ホイットワース・ホイットリー爆撃機(同機種は性能の劣化により1942年頃には爆撃任務から外されていた)でした。目撃者によると、この機は無人機(操縦席に乗員がいない)であり、何処(いずこ)とも知れないところから現れては、ベルリン上空などで味方の爆撃機の身代わりとして独軍の高射砲の的となり数多くの味方機を救ったと云います。しかも、幾ら撃たれても平然と飛行を続け、やがて何処(どこ)かへ消えていくのでした。またこの機に関しても、非常に多数の目撃証言が報告されています。
ここに紹介したのは、いずれも都市伝説です。その科学的な根拠は0(ゼロ)に等しいのですが、一定の類似性がみられるのも確かです。
戦争という極限状態の中で、非科学的なヒーローの存在を求める戦場心理が、戦闘参加者に同様の内容の証言を引き出してもいるでしょうし、噂話として広がっていくのを後押しもしたのでしょう・・・。
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