また、多くの異説の中には下記の様なものもあります。
コンスタンティヌス大帝の母親であるへレナ皇太后がエルサレムを巡礼したおり、イエスが磔にされた「聖十字架」や「聖杯」、「ロンギヌスの槍」等の『聖遺物』を発見したとの説もあります。
また別の伝承では、ペルシャ王ホスローⅡ世がエルサレムを攻略した615年、「ロンギヌスの槍」の(先端部の)穂先は柄から取り外されて宝石で装飾された十字架の中心部に埋め込まれてコンスタンティノーブルの聖ソフィア大聖堂へ移され、80年後には槍の他の部分(柄)も合流しました。しかし13世紀半ばにフランス国王のルイ9世が穂先の部分を手に入れて、18世紀迄はパリのサント・シャベル教会に保管されていましたが、フランス革命の混乱で所在不明になってしまったと云われています。
一方、槍の柄の方は1453年にコンスタンティノープルを占領したオスマン帝国に所有されていましたが、同帝国のスルタンであるバヤズィトⅡ世が1492年に聖槍を教皇インノケンティウス8世に贈ったとされます。その後、この聖槍は聖ピエトロ大聖堂に保管されているとされていますが、公開はされていません。(写本が公開されているらしい)
その他の伝説には、「ロンギヌスの槍」は「聖杯」とともに、イエスを埋葬したアリマタヤのヨセフとマリア(どのマリア?)の手によって、ブリテン(英国)のグラストンペリーに運ばれたというものもあります。この話は間違いなく創り話であり都市伝説なのですが、こうして、アーサー王伝説の聖杯探索譚にも聖槍が登場することになります。
「ロンギヌスの槍」らしき槍が聖杯城カーボネックを訪れた円卓の騎士らの前に聖杯と共に出現します。そして穂先から血を滴らせた白い槍という姿で描写されており、名前は「ロンゴミアント」だとされています。通称は「ロン」と呼ばれ、その槍の威力は凄まじく、一突きで500人もの敵を吹き飛ばしたと伝えられています。アーサー王が最後の戦い(カムランの戦い)において、裏切りの者の息子(甥とも)モルドレッドを討ち果たす時に使用した槍でもあります。
「ロンギヌスの槍」を所有する者は世界を制し覇王として君臨できるが、逆に聖槍を失うとその効果は反対に作用して、それまでの持ち主に破滅をもたらすという伝説が生まれました。
例えば、前述のカール大帝は、「ロンギヌスの槍」を入手して以来無敵の勢いで47回ほどの戦闘に勝利したとされますが、ある時、皇帝はこの槍を落としてしまい、その直後に死亡したとされています。
はるか後年になりますが、アドルフ・ヒトラーも「ロンギヌスの槍」の霊力に魅かれ、非道な野望を抱いたとされています。
所有する者に世界を制する力を与えるとの伝承に影響されたヒトラーは、ウィーンのホーフブルク王宮で展示されていた聖槍から霊感を受けたとされ、『オーストリア併合(アンシュルス)』以後のナチス・ドイツ時代に、神聖ローマ帝国の帝国宝物(レガリア/regalia)を、1424年から1796年までレガリアが保管されていたニュルンベルクへ再び移管したのは、ドイツ第三帝国が神聖ローマ帝国の正当な後継者であることを示すためという見解もあるのです。
そして彼が自決する直前に槍は連合軍に奪取されたと云われていますが、(私は信じませんが)一部にはヒトラーは「ロンギヌスの槍」を奪われたから自滅したとの解釈もあるのです。
尚、レガリアには「ロンギヌスの槍」の他に「帝国宝冠」、「帝国宝剣」、「ロタールの十字架」などがふくまれていました。
因みに、レガリアとは王権などを象徴し、それを持つことによって正統なる王や君主であることが認められる、象徴となる物品のことで、日本にも三種の神器などがありますよね。
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