《戦国の終焉、大坂の陣の武将たち -8》 青木一重と伊東長次、そして北川宣勝と山川賢信 〈25JKI28〉

北川宣勝

北川 宣勝(きたがわ のぶかつ)は伊達政宗の重臣の浜田景隆の長男との説がある。変名後の諱は信勝・定勝とも。慶長年間に伊達家を出奔し、北川次郎兵衛宣勝と名を変えて豊臣秀頼に仕えたとされる。

大坂冬の陣では後藤又兵衛基次の下で大坂城八町目口(谷町口方面)を守備して奮戦。そしてこの時、それまでの戦闘で活躍する宣勝の評価が高まったこともあり、秀頼より(兵数が少なかった)長宗我部勢を配下として併せて指揮するように木村重成や渡辺糺らを通じて命ぜられるが、「(逆に)私が盛親殿の下に付くのが道理」と固辞したといい、結局のところは守備地を兵数に応じて分割して守ったそうだ。

これは、いくらなんでも宣勝は伊達家の家臣、つまり又者(陪臣)であるからして元は国持大名である(はるかに格上の)長宗我部盛親より上位に立つことへの遠慮(また盛親は了解しても、長宗我部の家臣団は納得しないであろう)からとされている。

翌年の大阪夏の陣では、道明寺の戦い、そして天王寺・岡山の決戦で力闘(真田隊の後詰)するが力及ばず、大坂城落城後は山川賢信と共に逃亡し八幡滝本坊(法印)のもとに隠れる。一旦脱出した彼らだったが、瀧本坊が捕えられて連行されると知恩院に出頭し、「願わくは我々を誅し、彼(か)の僧を御赦免あるように」と言上するので、知恩院は徳川方にこの事を申し伝えた。本多上野介正純が家康に対処について伺いを立てると、「義を知って出る輩がどうして逃げようか」と二人をそのまま寺に置き、茶菓子で持成(もてな)したという。

その後、京都所司代の板倉勝重により本能寺で拘留された。やがて宣勝は大村民部大輔純頼の預かりになり、同年8月4日に正式に赦免(御免)となる。以降、そのまま純頼の家臣となった。

 

山川賢信

山川 賢信(やまかわ かねのぶ)は、伊達家々臣の富塚信綱の弟で、伊達政宗に仕える。当初の名は富塚小平二。関ヶ原の合戦の際に上杉景勝軍との戦闘で安田勘助を討ち取り功名を挙げるが、その後、伊達家を出奔し山川帯刀賢信と名を変えて大坂城に入城。

大坂冬の陣では、北川 宣勝と同様に後藤基次の配下で八丁目口の守備を任される。

夏の陣の道明寺の戦いで奮闘。天王寺・岡山での決戦でも戦ったが豊臣方が敗北した為、北川宣勝と共に八幡滝本坊に隠れた。やがて自ら出頭し京都所司代の板倉勝重に捕えられ本能寺に留め置かれたのは宣勝に同じ。しかし家康に「奇特な分別をする可愛い奴らだ」と罪を許され、その後は平戸の松浦壹岐守隆信に預けられ、やがて家臣となり休翁と号する。没年は不詳。

尚、彼は道明寺で討死したとの説もあるが、翌日の戦いに参加しており、その後の消息も伝わっているのでこれは間違いだ。

 

青木一重に関しては、最初から徳川方に寝返るつもりであったとは考えられないが、結局のところ所領を安堵され、小さいとはいえ大名格として立藩が叶った。冒頭に述べた通り、一重自身が徳川家に近い境遇であった事と、弟の重経が三方ヶ原の戦いで家康を助け武田勢を食い止める為に討ち死にした事に強く恩義を感じていた家康の想いが、彼が許された上に麻田藩を授かったことに繋がったとされる。

伊東長次は、既に述べた様に青木一重と比べてはるかに明確に、しかも長期間にわたり各種の情報を徳川方に提供し続けていたのだろう。その潜伏期間は極めて長く、家康の深慮遠謀は果てし無いと思わざる得ない・・・。

宣勝と賢信は、大坂の陣でもその後の行動でも常に一緒なところから、二人とも伊達家の家臣の頃から旧知の間柄であり、共にスパイ活動を行う様に指令を受けての潜入だったのは間違いない。(ちなみに『難波戦記』では、北川宣勝は山川賢信の甥だと描かれているが、さすがにそれは眉唾ものの話)とは云え、同様の目的で大阪城に入場した徳川方の間諜は多数いたハズであり、その中で歴史に名を残しているこの二人は、武士としての実力も可成りのものであったのだろう。特に宣勝が長宗我部盛親を指揮下に置くように命じられたことなどから、その武将としての能力の高さが窺われる・・・。

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