西洋のファンタジー作家や作品、また主要な登場人物たちなどにかかわる話を紹介するつもりでKijidasu!に参加しましたが、今回の投稿では、東洋、しかも日本の戦国時代に活躍した幻術士を紹介しましょう。
その名は「果心居士」というのですが、皆さんはご存知でしょうか? ちなみに、サンタクロースとは無関係です(笑)。
先ごろKijidasu!関係者の方と懇談していたところ、現状は日本史に関する読者が比較的多いとのことでしたので、意識して日本史上におけるファンタジー要素の大きい人物で、典型的な怪人物を探してみたら「果心居士」がいました。そこで今回の記事では、ファンタジー好きの友人に聞いても意外と知られていないこの人、「果心居士」を紹介していきます。
果心居士は、室町時代末期の幻術士で七宝行者とも呼ばれます。文禄5年(1596年)に愚軒が著した説話集『義残後覚』によると、筑紫の生まれと云われていますが、生没年は不詳、詳しい履歴は当然ながら不明です。もちろん実在を疑問視する向きもあるし、その原型となるモデルはいても、幻術士としての彼が残した能力の証や技に関する逸話は極めて大袈裟に伝えられているに相違ありません。
多くの創作作品では、戦国の乱世に活躍した幻術を操る忍者で、摩訶不思議な人物として描かれることが多く、1961年に刊行された司馬遼太郎氏の短篇『果心居士の幻術』の中でも、強大な幻術を使う忍者として描かれています。
さて当初、筑紫から京へと上ってきた果心居士のエピソードとしては、大混雑の中で薪能を見学していた彼が、顔を縦に2尺も変形させて多くの観客の後ろから悠々と鑑賞している様子に、周りの観客が気付いて驚き、能の鑑賞どころではなくなった、という逸話があります。
そして一説には、大和の興福寺の僧となりながら、外法(げほう)である幻術を極めんが為に修行に打ち込んだ為、興福寺を破門されたそうです。
その後、自らの幻術の腕を頼んで有力大名家に仕官したい、と考えては織田信長や松永久秀、そして豊臣秀吉らの前で幻術を披露したと記録されていますが、いずれの場合も、果心居士の幻術に恐れを抱いた大名たちにより仕官は許されなかったとされます。
そこで、以下に果心居士の幻術にまつわる話を幾つか紹介していきます。
先ずは奈良にある猿沢の池でのパフォーマンスから。興福寺の参拝者で賑わうこの場所で、多くの見物人の前で果心居士は、手に持った笹の葉を池の水面に向かって投げ入れて瞬く間に数匹の鯉の姿に変えてみせました。その後、鯉たちは元気よく泳ぎだしたといいます。
しかし見物人一同が驚き、そして多くが拍手喝采する中で、中にはその技に疑いの目を向ける輩もいました。そこで居士は、そういった男のひとりの前に立ち、その男の歯を手にしていた楊枝でひとなですると、歯が抜け落ちんばかりにダラリとぶら下がりました。驚いた男は慌てて口を押さえます。そこで安心しろと言わんばかりに、更に反対方向へもう一度なでると、歯は何事も無く元に戻ったのです。
そしてこの様子を見ていたのが、当時、大和国を支配していた悪名高き戦国大名の松永弾正久秀。居士の幻術を自分の謀略遂行に利用しようと考えたに違いありません。
以降、度々、果心居士を呼び寄せては、その幻術の技やら、兵法について歓談しました。また実際に久秀の命を帯びて、居士が諜報・破壊活動に従事した可能性もあるでしょう。
ある時、梟雄の代名詞のような久秀が、自分が本気で怖いと思う物を見せる事が出来るか? と挑戦すると、居士は数年前に死んだ久秀の正室の幻影を出現させ、久秀を震え上がらせたそうです。
このエピソードでは、何よりも(あの信長よりも)奥さんが怖い、という久秀が可愛く思えますが、そのことは脇に置いて、たぶんこの出来事を切っ掛けに久秀との関係は疎遠になったと考えられるのです。