そしてその松永久秀を滅ぼした織田信長も、部下に命じて果心居士の持っていた不思議な地獄絵図や動く(動画かアニメーション? )仏画を力ずくで取り上げさせてみたところ、奪った絵には何も描かれていなかった、という逸話もあります 。
また、偶然に京の町で借金取りに遭遇した時に、自らの顔を他人の顔に瞬時に変化させて逃げ切ったとも伝わります。(まるで怪物くんのパターン)
他には、ある兵法者と腕試しをすることになった居士、屋敷の中の座敷の四方に戸板を立て掛けられて、その逃げ場の無い中で件(くだん)の兵法者とその弟子7人ばかりと戦うこととなったが、囲まれたハズの果心居士がいきなり姿を消してしまいます。天井裏や縁の下なども含めてどこを探しても居士が見つからない為、兵法者たちは匙を投げて降参すると申し出ると、何処からともなく居士が座敷の真ん中に現れたのでした。
はるか後年、小泉八雲の『日本雑記』には『果心居士の話』と題された逸話があり、果心居士が絵の中から船を呼び出し、船に乗り込むとそのまま絵の中に消え去ったいう話が紹介されています。
天正十二年(1584年)6月、果心居士は豊臣秀吉に呼び出されて幻術を披露することとなりました。
よせばいいのに、ここでもまた秀吉を恐れ慄かせてしまうのです。その時、居士は秀吉が決して他人には語ったことの無い過去の悪行を暴いたというのですが(居士の幻術により、秀吉が若年の頃、暴行した上に殺害に至った女性の顔が現れたといいます)、この為に居士の幻術に恐怖を抱くとともに、自らの恥部を晒されたことで非常に立腹した秀吉は、居士を捕らえて即刻、磔の刑にしてしまうのでした。
しかし果心居士は慌てず騒がず、多くの刑吏の目の前で術を唱えて鼠に姿を変えると、呼び寄せられた鳶がそれをくわえて何処ともなく飛び去ったとされています。
この様になかなか仕官が出来なかった果心居士も、遂に臣下として仕えることがかなったのが、徳川家康です。
果心居士が警戒厳重な駿府城に易々と侵入した逸話も有名ですが、これも家康に対して己の実力を誇示して仕官する為の、セールスプロモーションだったのでしょう。もしくは、既に家康の旗下であった居士が、状況報告の為に家康の元を訪れた際の出来事かも知れません。
やがて大阪の陣で敗北した豊臣家は滅び、居士は秀吉に磔にされかけた恨みを晴らしたのでした。
ところで果心居士が、『快傑ライオン丸』の登場人物だったことをご存知の方は少ないでしょう。
時は群雄割拠する戦国時代。戦乱の中で孤児となった獅子丸(潮哲也)、沙織(九条亜希子)、小助(梅地徳彦)の3人は、飛騨の山奥で最強の忍者にして偉大なる幻術士の果心居士(徳大寺伸)に育てられますが、その果心居士は日本征服を企む「大魔王ゴースン」の手下、オロチによって殺されてしまうのでした。己の運命を予見していた果心居士と、果たして獅子丸たちのその後の運命は如何に・・・、といったお話です。
『快傑ライオン丸』は、フジテレビ系で1972年4月1日~1973年4月7日(全54回)にかけて放映された子供向けアクション時代劇ですが、当時は大変な人気を博した番組でした。ちょっとだけ、先輩格の『仮面の忍者 赤影』を彷彿とさせるスーパー忍者ストーリーと、以降に多く現れる変身ヒーロー物をミックスしたような筋立てで、居士の活躍も楽しい荒唐無稽で勧善懲悪の物語です。
結論から言うと、果心居士は(実在したという前提で)現代でいうところの高度な奇術(マジック)や催眠術の技法(麻薬を使い幻影を見せたらしい)を体得した人物で、戦国武将に雇われて諜報や謀略活動に従事した人だったのではないでしょうか。
ミスターマリックとか引田天功とか、そういう類の人があの戦国時代に存在していれば、きっとまるで「果心居士」になるだろうな。縄抜けなんかも出来そうだし、スプーン曲げの要領で、小刀なんかをホイホイと曲げて見せれば間違いなく幻術士ですもの‥ネ。
さて次回も、日本史上のファンタジーな人物!?を探しては、皆さんに紹介しようと思いますので、よろしく、お願いします!!
-終-
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