最近、驚いたことがあります。娘の日本史の教科書を見る機会がたまたまあったのですが、若かりし頃、この肖像画は○○さんです、と教えられたものが変更されているではありませんか。実は間違っていたことが後々判明して、教科書などでの表記が変更されているとのことでした・・・。
そんな訳で、私が気付いた名前の変更された(私の記憶とは異なっていた)肖像画3点をご紹介します。
先ずは、源頼朝です。藤原隆信が描いたもので、京都の神護寺に所蔵されており国宝に指定されています。たしかに画中には頼朝であることは記載されていませんが、以前は神護寺に伝えられていた話にもとづき頼朝像とされてきました。しかし近年では、この画の成立年代は鎌倉時代の後期以降であるとの多くの美術史専門家の説により、頼朝の肖像であることに疑問が持たれています。そこで大概の教科書には「伝 源頼朝」として「伝」(~と伝えられているとの意味)が付記されていましたが、最近では掲載自体がされていないそうです。また一説には、この肖像画は足利直義(尊氏の弟)が神護寺に奉納した自画像であるとの見解もあるようです。
ちなみに、鎌倉幕府の成立年代も1192年ではありませんよ。昔は『いい国(1192)つくろう、鎌倉幕府』って覚えたものですが、現在は諸説あり、いずれの教科書も1192年に創設されたとは明記していないそうです。
次は、足利尊氏です。この画像(東京国立博物館所蔵)は別人説がかねてからありましたが、最近では完全に尊氏ではない、ということが定説となっています。高師直だ、という説が有力ですが、細川頼之や高師詮であるとの説もあります。今ではこの画像も、教科書からは消えたり「騎馬武者像」として紹介されています。
その後、少し教科書のページを前に戻して気づいたのが、聖徳太子です。あの画像が載っていません。あの画像とは紙幣などでも有名な聖徳太子像(宮内庁所蔵)のことですが、これも法隆寺での伝承に過ぎず、制作年代も太子が亡くなってから100年は経ているはずとの説が有力です。そこで現在の歴史教科書にはほとんど掲載されていないようです。
歴史も研究が進めば、当然、教科書も内容が変更されていきます。常に情報をアップデートしておかないと、あなたの知っている歴史はどんどん古いものになっているかも知れませんよ・・・。
-終-
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