『地下の国のアリス』と『不思議の国のアリス』出版前夜
さてここからは、本題の「今年は『不思議の国のアリス』発刊から150+1周年!! (その2)」です。しばらくはキャロル手書きの『地下の国のアリス』について述べましょう。それからいよいよ『不思議の国のアリス』出版前夜について触れたいと思います・・・。
前稿(その1)からの続きとなりますが、『アリス』シリーズの元本であるキャロル手書きの『地下の国のアリス』は、概ね正規版の『不思議の国のアリス』(以下、『アリス』)と似た内容でしたが、物語の長さは半分位しかなく、公爵夫人やチェシャ猫が出てくるエピソードや、帽子屋や三月ウサギが登場する「狂ったお茶会」のパートは存在しません。またそれどころか、『アリス』では二章を割いている「ハートのジャックの裁判」に関しては、わずか2ページ程度の短さとなっています。
また、『アリス』本の成立に関する贈呈詩は『地下の国のアリス』にはなく、その代わりに中扉の頁には「愛しい子供へのクリスマスプレゼント、夏の日の思い出に(A ChristmasGift to a Dear Child in Memory of a SummerDay) 」という献辞が飾り文字で書かれていました。
更に物語の中に挿入されている詩の内容が異なっていたりと、その他にも相違点が幾つかありましたが、挿絵数は38葉で、これには正規版の『不思議の国のアリス』と重なるものが多くありました。
最後のページにはアリス・リデルの(全身が映った7歳当時のアリスの写真から部分的に切り取った)顔写真が貼られていますが、1977年にキャロル研究者のモートン・N.コーエンが、この写真の下からキャロル自身によるアリス・リデルの似顔絵を発見しました。ちなみに、当初の似顔絵の出来に不満を持ったキャロルが、その上から写真を貼り付けたものらしく、この似顔絵は現在認定されている唯一のキャロル自筆のアリス・リデルの似顔絵とされています。
後に成長したアリスは、あるジャーナリストのインタビューに応じて、「ドジソンさんの部屋の大きなソファに座って、皆でお話を聞くのは本当に楽しかった。写真撮影も全然苦にならなかったし、お部屋へ行くのが楽しみでした」と話しています。(キャロルは友人や知人などの顔見知りの子供たちの写真を多く撮影していましたが、その頃の写真撮影には時間がかかり、それは被写体の子供たちにとっては大変退屈なことだった様です・・・)
当時、キャロルの親しい友人であり、詩人で聖職者、また幻想文学や児童文学の人気作家でもあった(我国でも『ファンタステス』や『お姫さまとゴブリンの物語』、『リリス』などのファンタジーや幻想文学で知られる)ジョージ・マクドナルドらの勧めもあり、キャロルはこの手書本をもとにした正式な出版をすることを考え始めたのでした。そしてこの時、マクドナルドの6歳になる息子グレヴィルも、「この本は6万部くらい刷ってもイイんじゃない!?」と励まし、キャロルを勇気づけたとされています。
こうしてキャロルは正式な出版を決意し、文章に再度手を入れる事として手書本『地下の国のアリス』から当事者にしか解からない部分を削除、「チェシャ猫」や「狂ったお茶会」などの新たな挿話を書き加えて、もとの18,000語から倍に近い35,000語の作品として内容を充実し、タイトルも『不思議の国のアリス』と改題します。
そして1863年には、この本の出版社はロンドンのマクミラン社に決まりました。マクミラン社は当時、自社で出版したばかりのチャールズ・キングズリーのファンタジー『水の子どもたち』が好評を得ていた為、このキャロルの『不思議の国のアリス』の刊行を引き受けたともされています。
その後、児童向けの本に関して挿絵がどれ程重要かを良く理解していたキャロルは、彼のイメージに合う挿絵画家を納得のいくまで探しました。ようやく1864年になり、人気風刺雑誌『パンチ』の編集者トム・テイラーの紹介によって、同誌の売れっ子挿絵画家であったジョン・テニエル(John Tenniel)に挿絵を依頼することが出来ました。
テニエルは想像力豊かで観察眼の鋭い画家であり、また動植物等を描く上での技巧にも長けており、創造上のユニークな人物たちやウサギはもちろん、芋虫やウミガメ、ドードー鳥などの昆虫や動物が数多く登場する『アリス』には、まさに適任の挿絵画家でした。
ある意味、彼が『アリス』シリーズ成功の立役者であることに間違いはありません。キャロルの筆力は当然ながら、テニエルの挿絵が『アリス』の独特の世界観を創り上げた要因の一つであることは、誰もが認める事実なのです。
しかし、挿絵に強いこだわりを持っていたキャロルは、テニエルの挿絵に対して何度も細かい注文をつけては彼を閉口させました。そして出版間近い頃には、二人の関係はかなり険悪なものになっていたとも伝わりますが、これは、出版にかかる費用は挿絵制作の分も含めて全てキャロルが自費で負担する約束となっていたので、彼としては決してその製作に妥協はしたくなかったからとされています。