同じ頃、より東方に布陣していた第15軍司令部でも、第711歩兵師団(ヨーゼフ・ライヘルト少将)からの至急電でオルヌ川東岸に英軍空挺部隊が降下を開始した旨の連絡が複数寄せられた。その内の一つは、ライヘルト師団長から第15軍司令官ハンス・フォン・ザルムート上級大将へ直接かかってきた電話により、「今、私の司令部がまさに敵の攻撃を受けています。この機関銃の射撃音を聴いて下さい!!」というものだった。こうしてザルムートは急いでB軍集団司令部に「敵襲」との連絡を入れたのだった。
しかし、慌てて呼び起こされたシュパイデルやギュンター・ブルーメントリット西方総軍参謀長(歩兵大将)も、当初は陽動のための作戦行動であると判断しており、またその(連合軍の)作戦行動の範囲があまりに広範であり、独軍前哨部隊からの断片的な、または偏った状況報告に振り回された為に対応が遅れたとされる。更にこの時の誤った対応は、連合軍の間断の無い空爆と、フランス人レジスタンスによる電話・電信網の破壊工作などで、伝令の使用も難しく電話も不通がちとなり、連合軍の行動についての情報交換や収集が困難を極めたことにも影響された。
また状況判断が遅れた別の理由には、米軍空挺部隊が北部ノルマンディー地域一帯に分散して降下したことも、独軍側が混乱を増す原因となった。予想を上回る激しい対空砲火のせいで、輸送機が進路を過ち、各々分散してしまった結果、空挺隊員たちは広範囲にわたって降下する羽目となった。
またオルヌ川東岸、カーンの北東部に降下した英軍空挺部隊においても同様のことが起きた。強い風に流された空挺隊員の多くが、予定の降下地点とは異なる場所に着地したのだ。しかし、その為に独軍は降下してきた連合軍空挺部隊の目的や実数が掴めずに対応に苦慮することになる。
シュパイデルらがこれを本格上陸と断定したのは、ようやく日の出の頃であり、ドイツ本土のヘルリンゲンの自宅にいたロンメルへ連合軍上陸開始の報が届いたのは、なんと午前10時15分に至ってのことであった。驚いたロンメルは直ちにラ・ロッシュ・ギュイヨンのB軍集団司令部に向け至急戻ることとした。
総統大本営とOKWに対しても、ノルマンディー地方の海岸部に連合軍の空挺攻撃と上陸作戦行動があった模様との連絡が為されたが、これはカレーへの本格上陸のための陽動作戦であると判定された。
そこでヨードルは、寝起きには極めて不機嫌なことが多いヒトラーを、陽動作戦対策の為にムリには起こしたくはなかった。その為、ヨードルからの、対応を急ぐ独軍各上級司令部への回答は、「ヒトラー総統は睡眠薬を用いてぐっすりと眠っており、起こすことは到底できない」という返答となったのである。
ようやくヒトラーが起床した後、作戦会議が開始されたのは正午になってからであった。しかしOKWとヒトラーは依然としてこの上陸作戦が連合軍の主な作戦ではないと考えており、別途の上陸作戦を警戒していた。
仮に現状のノルマンディー上陸が陽動だったとしても、早めに撃退しなければ主攻撃が来た時に充分に対応できないとして、ルントシュテットやロンメルが後置の装甲師団や予備の歩兵部隊の急派を説得しても無駄であった。
こうして独軍側は、連合軍のノルマンディ上陸に対して、迎撃の為の貴重な時間を失うと共に、全力での反撃行動に出ることは能わなかったのだ。