独海軍は、パリに司令部を置くテオドール・クランケ提督(西部方面海軍司令長官:大将)が深夜の空挺作戦の開始段階(01:30時前後)で、これは連合軍の主攻であると判断した。その後、03:15時頃、海軍総司令官のカール・デーニッツ提督(元帥)は海軍軍令部第1課よりノルマンディーへの連合軍空挺部隊の降下の報告を受領する。しかしこの時、海軍には効果的な反撃を実施可能な戦力はごく限られたいた。
そんな中、水上部隊で迎撃に出動したのは、ハインリッヒ・ホフマン少佐の第5水雷艇隊の水雷艇「T28」、「メーヴェ」、「ヤグアール」であり、6月6日の未明にはル・アーブルから出撃を敢行した。この3隻の水雷艇は、ソード・ビーチ沖の連合軍艦艇に対して雷撃を実行(05:35時とされる)、自由ノルウェー海軍の駆逐艦「スヴェンナー(HNoMS Svenner)」の撃沈(魚雷が命中した同艦は真っ二つとなり轟沈。乗組員34名が戦死)に成功する。そして攻撃後には、奇跡的に敵の反撃を回避して全艇帰還に成功した。(翌日も出撃した彼らは、果敢にも再び敵艦艇と交戦を試みる)
潜水艦部隊では、03:20時にはノルウェーの中央・Uボート部隊に警報が発令され、待機状態となる。その後の03:45時には、フランス・ビスケー湾のラントヴィルト・Uボート部隊にも警報が発令されて、総勢35隻のUボートは「最後の出撃である。浮上して全速航行。攻撃する敵機は撃退せよ」との命令に従い行動を開始した。そして05:00時頃には、大西洋上で作戦行動中のスノーケル付き改良型Uボートの5隻に、全速力でフランス西部海域へ向かえと指令が出された。
しかし、01:45時にU256が連合軍哨戒機の攻撃を受けたのを皮切りに、6日中で6隻のUボートが重大な損傷を受けてブレスト港へと帰港した。また、ラ・パリスより移動中のケーテル大尉指揮のU970と、大西洋からの急行途中のバーデン中尉率いるU955は撃沈された。
一方、独空軍の反撃は、リールのJG26(第26戦闘航空団)からヨーゼフ・プリラー大佐とハインツ・ヴォダルチック軍曹が搭乗する2機のFw 190戦闘機が出撃し、上陸途中の連合軍部隊に機銃掃射を加えた。またその日の夜半、第54爆撃航空団のユンカースJu-88が12機、ソード・ビーチ付近の英軍を夜間爆撃するが、大した損害は与えられなかった上に、5機を喪失する。そしてこれが、「欧州上空、敵なし」と云われた無敵独空軍の上陸作戦当日の抵抗のすべてであった・・・。