最後におまけネタとして、弘法大師繋がりで書に関する二つの諺(ことわざ)を紹介します。大概の皆さんが、ご存知のお話でしょうけれど。
さて初代「三筆」の一人に数えられる弘法大師が、大内裏に建つ八省院(朝堂院)の正門、つまり「応(應)天門」の門額を執筆した際に、扁額の「応(應)」の字に点を打つのを忘れていた、という逸話(「弘法(に)も筆の誤り」)があります。
※「扁額」とは、建物の内外や門とか鳥居などの高い位置に掲出される額、所謂(いわゆる)看板のことです。
しかもその時、誤りに気付いた弘法大師は既に掲げられていた額に筆を投げつけて点を後から描いた、というのですから驚きですね。そしてそれを観ていた見物人から、拍手喝采を浴びたとされます。
これは「今昔物語」などに収められている話ですが、現実には非常に疑わしい話だと思います。それは、実際に筆を投げつけて書を完成させるなどといった芸当が本当に可能かという以前に、そんな非礼・非常識な方法で扁額を書く訳けありませんからね・・・。
ところでこの諺は、弘法大師のような稀代の能書でも、字を間違えたり書き損じることもあるということから、その道の名人・達人でも、時には失敗することがあるという意味です。尚、名人でない普通の人(凡人)や、自分の失敗の言い訳けをするために使うのは不適切ですから使用には注意してくださいね。類義の言葉に、「河童の川流れ」や「猿も木から落ちる」、「上手の手から水が漏る」などがあります。
続いては「弘法 筆を選ばず」。本当の名人は、道具の善し悪しなど問題にしないという例えです。これまた弘法大師はどんな筆を使っても常に優れた書を書くことから、その道の名人や達人は道具や材料を選ばず、見事に使いこなすということを表します。転じて、自分の技量不足や失敗を、使用する道具や周囲の環境の所為(せい)にしてはならないという戒めの意味でもあります。類義の言葉には「良工は材を選ばず」など。また、対義語に「下手の道具調べ」があります。
しかしこの諺の本来の意味は、「その道の達人は道具の善し悪しが解る」、つまり名人は敢えて(最も有効な)道具を自然と選ぶという逆説的な解釈もありのようですが・・・。〈責任執筆:イットン調査団の団員、カンベ〉
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