【太平洋戦争】 優駿 日本海軍 巡洋艦物語!! 第2回 軽巡洋艦 『阿賀野』 -前編- 〈3JKI00〉

これを受けて昭和14年度の「④計画」では、新型軽巡洋艦6隻の整備予算が盛り込まれてこれらの艦艇の建造が承認された。そしてこの6隻が、水雷戦隊旗艦用(巡洋艦乙型)の『阿賀野』型4隻と潜水戦隊旗艦(巡洋艦丙型)の『大淀』型の2隻である。

この内の巡洋艦乙型(『阿賀野』型)についての軍令部からの要求性能(主な要目)は、基準排水量6,000トンで15cm連装砲3基6門、8cm連装高角砲2基4門、25mm3連装機銃6基18門、61cm4連装魚雷発射管2基8門(予備魚雷8本搭載)、水上偵察機2機と射出機(カタパルト)1基、最大速力35ノット、航続性能は18ノットで6,000浬であった。

これに対して、基準排水量が6,650トン(公試排水量7,800トン)と増大した点と25mm3連装機銃の数が2基4門に減少したことを除いては、ほとんどの要求を叶えたのが大薗大輔造船中佐(後に大佐)によって設計された『阿賀野』型の軽巡洋艦であった。またこの艦(ふね)は、夜戦における雷撃戦等に用兵の重点が置かれていた為、視認性を高めてしまう様な大型化は可能な限り避け、艦型の全体像も可能な限りコンパクトでシャープ、そして舵の効きが良く、俊敏で機動性の高い艦に仕上げられた。

 

性能・要目

1.主砲について・・・・・旧来の5,500トン型軽巡洋艦は主砲に14センチ速射砲を採用していたが、『阿賀野』型はより口径の大きく強力な新型の主砲を採用した。制式名称は50口径 四一式15センチ連装砲といい、正確な実口径は15.24センチ(6インチ)でヴィッカーズ社のライセンス生産品である。

これは元来、巡洋(高速)戦艦『金剛』型の副砲であった単装砲を連装の砲塔形式(1基あたり約72トンの軽量砲塔)に直したもので、対艦・対地砲撃はもとより、砲身の俯角は7度で最大仰角が55度ある対空射撃も可能な両用砲であった。初速は毎秒850m、射程は仰角30度で1万9,500m、45度で2万1,000m、最大仰角では約2万5,000m(最大射高8,000m)まで届いたとされる。またこの連装砲塔を船体中心線上、艦首側を背負い式として2基、艦尾側に1基の合計3基6門を配置した。

しかしこの砲には問題点があり、それは主砲弾の揚弾・装填を人力に頼っていたことであった。砲弾の重量は45.36kgもあり、それを砲術科兵員の手で1発づつ装填する人力装填方式であった為に発射速度は毎分6発と決して早くはなく、更に長時間の砲戦継続が人力の為に困難ではと危惧された。しかし、実際の戦闘では現場の砲員の奮闘努力で大きな問題は発生しなかったとも伝わる。

またこの砲は両用砲として高角砲(後述)の数的不利を補うとされたが、現実には防空戦闘にはあまり有効ではなかったとされる。それは砲塔の旋回速度が遅く航空機の追尾には不向きであり、固定角装填の為、発射毎に砲身を7度に戻してからの手動装填となり、対空戦闘での実用的な発射速度にはほど遠かったとされる。更に『阿賀野』型のみの問題ではないが、搭載されていた高射指揮装置(94式5型照準装置)に関して、艦が回避行動を行って傾斜した場合、照準動揺の修正が追いついていかないという欠点があり、用兵現場からは強く改良を求められていたとされる。

そして砲塔には全面装甲は施してあるものの、その装甲は断片防御程度の厚さであり、巡洋艦クラス以上の敵弾に対する耐弾性は限られていた。

ちなみに姉妹艦『能代』の場合は、艦首に向けて二番主砲を発射すると衝撃で一番砲塔の電灯が消灯した事故が報告されており、一番砲塔の天蓋を強化する旨の進言が為されている。

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