【OIC-7】 『カーネル・サンダース』の「カーネル」とは? そして、あの人形の由来は・・・。 〈1647JKI24〉

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「カーネルおじさん」と呼ばれる白服の人形

【OIC/へぇー!そうなんだぁー♪】の第7回。

日本でも御馴染みのファストフードのチェーン店、『ケンタッキーフライドチキン(KFC)』には、お店の入り口に必ず白いスーツ姿の人形が置いてありますよね。

実はあの白い服を着たオジさんの立像は、KFCの創業者ハーランド・サンダース(Harland Sanders)の60歳頃をモデルとしたものなんです。でもどうして、白い服を着ているのでしょうか? また彼は『カーネル・サンダース(Colonel Sanders)』と呼ばれていますが、それは何故でしょうか・・・?

 

「カーネル・サンダース(Colonel Sanders)」の実像とは・・・ 》

彼は、本名をハーランド・デーヴィッド・サンダース(Harland David Sanders)といい、1890年9月9日にインディアナ州クラーク郡ヘンリービルで生まれ、1980年6月に急性白血病となり、その後に肺炎を併発して同年12月16日に90歳で亡くなりました。

アメリカ合衆国の著名な実業家・企業経営者であり、『ケンタッキーフライドチキン(KFC)』の創業者です。そして、(世界的に)愛称『カーネル・サンダース(Colonel Sanders)』として知られています。

子供の頃から料理が得意だったというサンダースは、多くの仕事を転々としながら、やがて苦労の末にケンタッキー州ノースコービンNorth Corbin, Kentucky)でガソリン・スタンドの経営者になりました(1930年、40歳)。そしてそのガソリンスタンドの一角に小さな(たった6席の)レストラン・コーナー『サンダース・カフェ』を始めます。そしてサンダースは5年後の1935年には、ケンタッキー州のルビー・ラフーン知事から『ケンタッキー・カーネル(Kentucky Colonel))』の名誉称号を与えられています。ところがこのレストランは、一時期は成功し規模を拡大していきますが、やがては経営不振に陥り倒産してしまいます(1955年、65歳)。

しかし世界初となる「フランチャイズ(FC)」のビジネスモデルを考案したことが、その後の再起に繋がります。それは各地の飲食業の経営者や従業員に、彼独自の調理法を教えては売上に応じた加盟金/指導料(ロイヤリティー)を獲得するという新しいビジネスでした。

このビジネスでは、『サンダース・カフェ』の目玉料理であったフライドチキンの調理法を主に広めました。そして1939年に導入された圧力釜を用いた「オリジナル・フライドチキン」の製法は、以後75年以上にわたって「(KFCの)オリジナル・レシピ」として引き継がれているそうです。

FCビジネス開始の年、1952年にはユタ州ソルトレイク市のピート・ハーマン(Pete Harmanが最初の加盟店(フランチャイジー)となり、フランチャイズ1号店が開業しました(1,009社もの会社に断られましたが、1,010社目で遂に契約成立となりました)。尚、『ケンタッキー・フライドチキン(KFC)』という屋号(ブランド名)は、この時にハーマンから逆提案されたものだそうです。

1955年には「ケンタッキーフライドチキンコーポレーション」という会社が設立され、その後、1963年になりサンダースが73歳を迎えた時には、このチェーンの加盟店は600店を超えていました。翌1964年以降、サンダースは直接の経営から引退して、「味の親善大使」として全世界のKFC加盟店を巡りました。

以来、KFCは成長・拡大を続け、2012年12月末現在において、全世界120の国や地域に約18,000店の加盟店があります。

サンダースは、最終学歴は小学校創業(6年修了)程度で、決してエリートではなく、その人生で40回以上も転職を経験し、70歳近くになってからKFC のフランチャイズ化が成功してようやく地位や名誉、そして財産を手に入れた大器晩成タイプのアメリカン・ドリーム体現者です。

また、伝統的なアメリカ南部の人々の親切なもてなし(客人・他人を家人のように温かく迎えること)を「サザン・ホスピタリティ」と言いますが、そのホスピタリティ精神は現在のKFC加盟各店にも受け継がれており、また彼とKFCは慈善活動や社会貢献に大きく尽力(サンダースがロータリークラブとフリーメイソンの有力メンバーであったことは有名)しました。

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