今回の《和菓子探訪》では、日本三大銘菓を取り上げます。三大饅頭に関する記事が好評なので、つい調子に乗って“三大シリーズ”を続けることにしました・・・。
さて和菓子界で日本三大銘菓と云えば、一般的には新潟・越乃雪本舗大和屋の『越乃雪(こしのゆき)』と金沢・森八の『長生殿(ちょうせいでん)』に松江・風流堂の『山川』のことを指すのですが、時としてそのひとつを博多・松屋利右衛門の『鶏卵素麺(けいらんそうめん)』と入れ替えることがあります。
どれを選んで三大とするかには、色々とご意見があるようで結論は出ていません。一説には、この四つ全てをもって三大銘菓と呼ぶ、という少々無茶な話もあります。だってそれだったら、最初から四大銘菓にすれば良いのにと思いますが、皆さんは如何でしょうか?
でも世間の皆さんは、やはり“三大~”という表現に拘っているのでしょうね。個人的には甲乙付け難く、美味しければ全部OKと思ったりしますが、まぁ、いずれにしても全てに共通していることは、由緒正しき歴史があって当然ながら美味であるということです。
1. 『越乃雪』
【由来・逸話】 『越乃雪』は、越乃雪本舗大和屋が製造している餅米の寒晒粉と和三盆糖を合わせた押し菓子ですが、その由来は、江戸時代後期の初め頃、老中も務めた第9代長岡藩主の牧野備前守忠精が安永7年(1778年)に体調を崩した時に、大和屋庄左衛門(大和屋店主の先祖)が寒晒粉に甘みを加えて調理をして和菓子を作り、それを献上したところ忠精の食欲が進み、ほどなく病が平癒・完治されたと云います。
この時、備前守は大層喜び、庄左衛門に「実に天下に比類なき銘菓なり。吾一人の賞味は勿体なし。之を当国の名産として売り拡むべし」と申し述べ、この菓子は越路の山々に降る雪になぞらえて『越乃雪』という銘を賜りました。
その後も大和屋はこの菓子の製造を続け、文化6年(1809年)には藩の贈答用菓子の御用達となります。そして天保元年(1830年)頃には、『越乃雪』は藩主や藩士の参勤交代の時の御挨拶品として盛んに買い求められた為、江戸をはじめとして上方から九州にまで全国津々浦々に広く知られるようになり、また町方や在方の冠婚葬祭にも使われるようになりました。
歴史上の有名な逸話としては、『米百俵の精神』で有名な小林虎三郎(維新直後の長岡藩の大参事)が師の佐久間象山への贈答品として『越乃雪』を使用していたことが書簡資料に記載されています。また小林の(佐久間象山の門下生という意味で)同門の吉田松陰の弟子にあたる勤王の志士、高杉晋作が亡くなる少し前に、今年は雪見はもう出来ないからと、見舞いにもらったこの菓子を病床の傍らに置いてあった盆栽の松に振りかけて雪見に見立てたという言い伝えも残っています。更に、河井継之助をはじめ長岡出身の幕末から明治維新にかけて活躍した多くの人々に愛されてもきました。
更には、明治11年の北陸御巡幸の際には明治天皇の御在所の茶菓子として供され、また供奉されていた岩倉具視右大臣や大蔵卿の大隈重信、工部卿の井上馨などの多くの政府高官が土産物として購入したとされています。また昭和期に入ると、郷土(長岡)の英雄、海軍の山本五十六大将(戦死後に元帥)が、柔らかく崩れやすい『越乃雪』を上手に食していたという、可愛らしい話もあります。
【材料・製法】 この菓子は、美しい越路の山々に清らかに降る雪になぞらえて生まれたという由来の通り、肌理細やかな舌触りと風味が大変上品なことで、茶人や通人に広く愛され、抹茶の點心(点心)として使う方が多いそうです。
またその素材・製法は、越後特産の糯米(餅米)の粉と阿波・徳島の高級和三盆糖をふんだんに使用して湿気に寝かせて型に押し固めて作るのですが、この時、使われる糯米の粉は一旦炊いてから天日干しにして、更に大和屋独自の製法により『越乃雪』専用に加工されたもので、厳密に言えば通常の寒晒粉(かんざらしこ、寒中仕込みの白玉粉のこと)とは少々異なるものだそうです。
そして、もう一つの大切な素材が、高級な砂糖・和三盆。『越乃雪』用に特別調整の和三盆を製造している岡田製糖所は、徳島でも大変な有名な製糖所で、その工場は人気の観光スポットになっているほどです。
『越乃雪』は岡田製糖所の和三盆を約230年前の創業当時から使用していると云います。北前船(弁財船、帆船)の海運業者・銭屋五兵衛が保存していた資料の中にも、『越乃雪』関連の記述がみられますが、江戸時代、阿波国(徳島)から和三盆を北前船に積んで大坂経由の西廻り航路で日本海を北上して運んだのです。以後、昭和初期頃までは物流が今日の様には発達しておらず、年に数回、精製されて運ばれてきた和三盆を大和屋は蔵の中で大切に保管しては『越乃雪』製造の度に使用していたそうです。
ちなみに『越乃雪』に使用している和三盆糖は、“生”という呼称の和三盆です。一般の和菓子に使用されている和三盆は“かわき”と言われて、「打ち物」や「まぶし」に使われる場合が多く、食感もサラサラとしていますが、“生”は水分を多く含んで重厚な感じがします。そしてその重みにより和三盆独特の風味が強く感じられます。この“生”タイプは岡田製糖所が大和屋『越乃雪』専用に調整していて、『越乃雪』製造の鍵となる大切な素材なのです。
尚、一般的に和三盆は少し褐色がかった色の場合が多いのですが、『越乃雪』の場合、細かく砕いた粉砂糖を巧みにまぶすことで、見る角度によっては高原に降り積もった新雪の様な煌めきが見えるとのことです。
大和屋では、年間を通して気候の変動により味にも変化があるので、その点も考慮しながらシンプルな製法と素材へのこだわりを大事にして、230年の伝統を守る為に常に工夫を重ねているそうです。
【評価・実食】 越後の餅米の寒晒粉に徳島特産の砂糖、和三盆を配した大変口溶けの良い、上品な甘さのある菓子です。多くの人から崩れやすいとのご意見を伺いますが、『越乃雪』の名の通り、まさしく無造作に触れると、まるで新雪のようにあっという間に崩れてしまいます。塊のまま口に入れることは極めて難しく、匙(スプーン)を使って食べる菓子ですネ。なるほど、これならば降り積もった雪に見立てた、高杉晋作の雪見盆栽の故事も頷けます。
その味は、大変まろやかな甘さで食感は砂糖をまぶした肌理の細かい黄(きな)粉を食べている様です。コーヒー用のパウダー状の甘味料を食していると言ったら大袈裟でしょうか。いやまさしくそんな感じで、最初は、口に含んだ途端に口内の水分が一瞬吸収された様な感覚がありますが、直後に口の中でススっととろけていく上品な甘さが堪りません。
そして最後にふわっと米粉の香りが余韻として微かに残ります。さぞ昔の人はびっくり、大感激の甘味だったことでしょう。奥行きのある上品な甘みは、その姿同様に実に優雅な味わいを持っていて、意外にも紅茶ともマッチする様に思いました。
もともと一口サイズなので、崩れ易いことに注意すれば食べやすい菓子です。お値段も特別に高価ではありません。また大和屋以外の取り扱い店も全国にあり、百貨店などから通販・取り寄せも可能です。
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