そして『飛燕』のフォルムが、特にファストバック型のキャノピーが独軍のBf109に似ていることと同系の発動機を搭載していることから、我国でも『和製メッサー』と呼ぶ向きがあった様だ。但し、同系(ライセンス生産品)の発動機と共に後に本機の一部(Ⅰ型丙)が翼内に装備したMG151/20機関砲(マウザー砲)以外はBf109とは全く別物の戦闘機であった。
あくまで機体設計は川崎航空機の設計陣が独自に実施しており、左右一体型の主翼と胴体部の接合法やラジエーターの配置、及び主脚構造などがBf109とは大きく異なり、内部構造的には共通点は少ないとされる。
一方、日本海軍では愛知航空機(愛知時計電機の子会社)が川崎航空機とは別途にダイムラーベンツとライセンス契約を交し、液(水)冷式エンジンである「アツタ」を開発して艦上爆撃機『彗星』に搭載したが、『飛燕』と同様の問題点を多く抱えて決して成功した艦爆とは言えなかった。同じくエンジンの不具合による稼働率の低迷に悩まされ続け、また出力不足は上昇力の低下原因となったとされる。
【『飛燕』Ⅱ型 性能諸元】
・全幅 12.00m ・全長 9.1565m ・全高 3.750m ・自重 2.855kg
・全備重量 3.825kg(落下増槽を装備時) ・翼面荷重 192.5kg/㎡
・発動機 ハ140 液冷倒立V型12気筒 ・出力 離昇:1,500馬力/公称:1,250馬力 (高度5,700m)
・最高速度 610km (高度6,000m) ・航続距離 1,600km ・乗員 1名
・武装 一式固定機関砲(12.7mm)×2門、二式固定機関砲(20mm)×2門、爆弾:30~250kg×2
その戦歴は、連合軍と戦う以前に故障・不具合対策の連続であったが、強力な武装のおかげで昭和18年の後半から約1年間にわたって陸軍戦闘機の中核を占めることとなった。
現場部隊の悪戦苦闘によってなんとか事実上の主力戦闘機として活躍した『飛燕』は、ようやくにして四式戦闘機『疾風(はやて)』に次期主力戦闘機の座をバトン・タッチをすることが出来たのだった・・・。
-終-
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