【今日の気になる言葉】大団円・カタストロフィー・クライマックス 〈1647JKI55〉

「大団円(だいだんえん)」という言葉があります。筆者は子供の頃、この言葉を(後半を逆さまにして)「大円団」と間違えて覚えていました。

つい先日、知人の奥様がしきりに会話の中で「大円団」と言われていたのですが、それを聞いた筆者は自分も同じ間違いをしていたことがあることを思い出しながらも、不必要な恥をかかせてはいけないとの気遣いから、その誤りを指摘する機会を逸してしまいました…。

 

本来は団も円も丸やまるい形を表わす意を持っており、団と円を重ねて何事も丸くおさまるという意味で「団円」と言います。転じて欠けることなく完全に終わること、つまり円満に終わるという意味にもなりました。そしてこの言葉はドラマや演劇、物語とか小説、稀に事件・事故などの最終局面もしくは最後の場面等に関して、目出度く(めでたく)丸くおさまる形の結末となる場合にも使われことになったのです。(例えば「大団円を迎える」など)

ところで、「大団円」に似た外国語には「カタストロフィー(catastrophe)」という言葉があります。これは周期的な秩序だった現象の中から不意に発生する無秩序な現象の総称で、別の言い方としては、ある現象の状態を規定している条件のわずかな変化がその状態を一変させる場合を「カタストロフィー」と呼ぶのだそうですが、この言葉をより解り易く端的に表現すると、自然界及び人間社会における何らかの大変動のことになります。フランスの数学者R.トム(René Thom)がトポロジー(位相数学)を科学全般に応用しようとして唱えた理論ともされ、連続する事象から不連続な事象が起こる過程を数学的に捉えようとした学説で、その後に崩壊が起こるプロセスも研究の対象となっています。

またギリシア語の「カタストロフェ(καταστροφή Ε)」は転倒や破滅といった意味なので、「カタストロフィー」は「大団円」とは違って、同じ最終局面を表わす場合でも円満で成功裏に終わる様子ではなく、悲劇的な結末や破局、逆転劇を意味することが多い様です。

更に「クライマックス(climax)」という言葉もあります。本来はギリシア・ローマ時代の弁論術においての修辞法の一つで、語句のイメージを次第に強めていく「漸増法」のことです。即ち、語句を重ねていく内に次第に語気を強めたり、最初は意義の小さなものから次第に重要な事柄へと移行したり、また弱々しい言葉からしだいに力強い言葉へと移ることで発言の印象を強める話術でした。語源はギリシア語の klimax とのことですが、その意味は「傾ける」という動詞に由来する言葉で、名詞的には「梯子(はしご)」の意であるとされています。

一般的には、連続的に進行する何らかの流れの経過(プロセス)における最高潮の部分や頂点を指す言葉として使われます。文芸用語としては、小説や物語、演劇などでの出来事・場面が様々な葛藤を経て遂に絶頂に至り、これ以後は成功・解決もしくは失敗・転落しかないといった構成上の分岐点のことです。ある意味、緊張や興奮が最も極まった状態のことであり、最大限に盛り上がった場面のことと云えます。

因みに、一巻の物語(ストーリー)が終わるという意味から、物事に結末がついてしまうことや登場人物や関係者などが死去することを「一巻の終わり」と言いますね…。

 

こうして改めてその意味を確認してみると、我が身に降りかかる場合は「大団円」ならば良いのですが「カタストロフィー」はいただけません。「クライマックス」が訪れるのは致し方ないとしても「一巻の終わり」は避けたいものです(笑)。

また日常、ちょっとした勘違いで間違った言葉を使ってしまうことは多いと思いますが、意外と周囲は敢えて指摘はしないもの。しかし冒頭の女性には、今度お会いした時には必ず(やんわりと)間違いを正して差し上げたい、と思っています

-終-

 

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