宇都宮で39年ぶりに古武士と再会 〈17/38TFU03〉

私が小学生のころ、上野駅の13番線は東北本線の長距離列車が発着するホームでした。初めてそのホームで、青や茶色の旧型客車列車が昼なお薄暗い13番線のホームに横付けになっている姿を見たときの印象は今でも忘れられません。まるで時代が一挙に戦前にまで遡ってしまったような、その光景は若干の恐怖と不思議さが入り混じって複雑な気分でした。

1970年代の上野駅13番線ホーム

その旧型客車の先頭に立っていたのが、EF57型機関車でした。

それまで、東海道のブルートレイン牽引のブルーとクリームの明るいEF65型電気機関車しか見たことがなかった私は、ここでもおおいにその存在感に圧倒されました。チョコレート色の大きな車体。人が5、6人乗れそうな大きなデッキ。屋根にせり出したパンタグラフ。側面のフィルターからはモーター音がその場にある音をすべてかき消してしまうほどでした。鉄と油と埃が入り混じったような匂い。ライトを煌々と光らせ、ホームの蛍光灯に輝く砲金のナンバープレートを紋章のように、出発を待つ姿は、古武士が戦いにいどむ前のようでした。当時、普通列車でも荷物車や郵便車も合わせて12両ほどの長い編成を発車ベル、発車ブザーに続く「ピーッ!」という長い汽笛のあと、さらに大きな唸りを挙げて重々しく上野駅を後にしていく様は、畏れ多いような感じでした。事実、その時は近寄りがたく、ホーム白線からかなり離れた位置から上野駅13番線を去っていくEF57を見送りました。

それからその機関車が、戦前の旅客用電気機関車であり、東海道本線で「つばめ」や「はと」などの優等列車牽引機であったことを知り、ますます興味を持ちました。しかし、筆者が高校受験の頃と重なり、上野駅に写真を撮りに行くこと時代から遠ざかっていた1977年にはEF57は運用から外れてしまいました。

機関区の片隅でひっそり眠っていた頃のEF57

そして受験の終わった1978年、EF57の配属先であった宇都宮機関区に友人と訪れました。機関区に見学を申し出て、区内を探すものの肝心のEF57の姿はなく、EF58ばかりでした。職員に尋ねると、「時すでに遅し」と言われ案内されたのが機関区の一番奥でした。パンタを下ろし日の当たらぬ機関区の片隅に薄汚れて死んだように眠るその姿を見たとき、合戦に敗れて討ち死にした古武士をイメージしました。二度と動くことはない。あとは解体されEF57という機関車自体の存在が記憶の彼方に消えていくのを感じました。私は彼との別れを悟りました。

39年ぶりに再会した厳重な管理下のEF57
目の前をよぎるのは黄色い銀杏の落葉

その日から39年という長い歳月が過ぎました。2017年11月4日。雨の宇都宮駅東公園で、私は古武士と対面を果たしました。1980年から同公園で保存展示されたことは知っていましたが、やっと再会する機会に恵まれたのです。厳重なフェンスに囲まれ、屋根付きの立派な線路の上に佇む姿は、美しかった。ダミーの架線が張られ、ややパンタを上げた姿は上野駅の姿に近いように感じました。モーターの唸りも、光り輝く電気系統もありませんでしたが、機関区の片隅でみた彼の姿より存在を感じることができたような気がします。

もう唸らないフィルターですが、耳をすませばあの日の音が・・

フェンスから車体までは遠く、屋根を支える柱が邪魔をし、決していい写真は撮れません。しかしそれが、当時から「畏れ多い」存在だったこの古武士と、私との距離を今も示しているようで、それを感じながら何度もシャッターを切りました。

年に2回、公開の日にぜひ会いに来たいと思います

 

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