さて現在、各国で楽しまれているこのゲームが形作られたのは、13世紀のイギリスの様です。例えば、この頃のスコットランド地方では、ボウリング・オン・ザ・グリーンと呼ばれる遊びが盛んに行われていて、これは芝生の上の小さな目標球に対し、球を転がしてより近くに到達させることを競い合いました。
そして当時、この遊びの人気は大変に高く、兵士たちすら武術の訓練を怠るほどに熱中したことから、1336年にイングランド国王のエドワード3世によってローンボウルズ禁止令が出され、その後になり、エドワード3世の嫡孫・リチャード2世も再びこの遊びを行うことを禁じた程でした。但し、これらの禁令の対象が、現在のローンボウルズの直接の祖先にあたる競技か否かは、定かではありません。
※自らも愛好者であったヘンリー8世(在位:1509年 – 1547年)は、貴族ではない平民階級がこのゲームを行なうことを、クリスマスの時期を除いて禁じていました。しかしヘンリー自身は、宮殿内にボウルズ場を造ってよく遊んでいたそうです。ちなみに彼の禁止令には、ボウルズ(bowls)やボウリング(bowling)という言葉を明確に含んでいました。
しかしその一方でこのローンボウルズ、もしくはそれに近似したゲームは確実に民衆に浸透していき、度々禁令が発令された後も隠れてプレーする者が絶えず、16世紀末頃迄にはスポーツとしてイギリス全土の幅広い階層に定着します。そしてエリザベス1世(在位:1558
※シェイクスピアの史劇『リチャード二世』第3幕第4場には、女性も楽しんでいたことを窺わせる記述があります。
※サー・フランシス・ドレークのこのゲームに関するエピソードが有名です。それは1588年7月、プリマス・ホーでこのボウルズに興じていたドレークが、スペインの無敵艦隊(アルマダ)接近を知りながらゲームを続け、「このゲームを終えてからでもスペイン人を打ちのめすには充分だ」と豪語して、その後、アルマダとの海戦に臨んだドレークはその言葉通りにスペイン海軍に完勝したのでした。
そして1670年には、チャールズ2世が(現在確認されている最古の)ボウルズに関する競技規則を定めましたが、その規則の内容には現在のローンボウルズと類似する部分が数多く見出されます。
こうして17世紀以降、北アメリカ、オセアニアなどイギリスの植民地支配が拡大するに従って、それらの支配地域へと広がり、オーストラリアでは1845年にタスマニア州で試合が行なわれた記録が残っています。ちなみに、ボウルズの禁止令が正式に解かれたのはこの1845年のことでした。
1848年には、スコットランドのグラスゴーにこの競技のプレイヤーたちが集まり、基本となる競技規則の必要性が認めて、弁護士のウイリアム・ミッチェル(William W. Mitchell, 1803年-1884年)が中心となってこれをまとめ、この競技規則は1864年にルールブックとして出版されました。
1880年には、初めて近代的な統一組織がオーストラリアのニューサウスウェールズで創設されました。1892年にはスコットランドのボウリング(ボウルズ)協会が、1903年にはイングランド・ボウリング(ボウルズ)協会が、そして1905年には国際ボウリング(ボウルズ)評議会(International Bowling Board/IBB)が創設され、この競技の関係団体が相次いで組織化されました。
更に、IBBは1992年に世界ボウリング協議会(World Bowling Board/WBB)と改称され、更に2002年に世界ボウリング協議会(WBB)と国際女子ボウリング協議会(IWBB)が統合されてワールドボウルズ(World Bowls Ltd./WB)へと改組され現在に至っています。
またローンボウルズは、コモンウェルスゲームズにおいては、その前身にあたる1930年の第1回大英帝国競技大会以来、1966年のジャマイカ大会を除いて毎回国際試合が開催され、2018年の大会においても競技が予定されています。ちなみにボウルズが、上記の1966年大会で競技施設の不備を理由にコモンウェルスゲームズで競技が行なわれなかったことから、代替の競技会として初めて開催されたのが世界選手権でしたが、女性選手が参加する種目も加わり、1972年以降4年毎に開催されています。また、アジア太平洋地域諸国が参加するアジア太平洋選手権も、1985年から隔年で実施されています。
※コモンウェルスゲームズ(Commonwealth Games)とは、イギリス連邦に属する国や地域が参加して4年毎に開催される総合スポーツ競技大会のこと。
パラリンピックでは、1968年のイスラエル大会から1996年のアメリカ大会まで、1992年のスペイン大会を除く大会で行なわれました。
我国(日本)は、1966年に日本ローンボウルス協会がIBBに加盟した後、加盟取り消しや数回の組織変更・統合などを経て、1986年に日本ローンボウルズ連盟として再加盟、現在は2008年に認証されたNPO法人 ローンボウルズ日本(Bowls Japan/BJ)が日本を代表する統轄組織としてWBに加盟し、その活動に参加しています。尚、日本の競技人口はBJ会員が約300名、日常的に活動している一般の愛好家は約1,500名と云われています。
現在、世界的にはイギリス、オーストラリアやニュージーランド、カナダ・シンガポール・マレーシア・南アフリカなどの英連邦の国々を中心に、香港・アメリカ等も含めて世界各国で行われ、200万人以上の愛好者がいると云われています。
今回の【三日月ネコの日々是好日記】では、英語圏・英連邦の国々で人気があるローンボウルスに関して解説しましたが、思いの外に同様の競技が多かったので、前後篇(2回)に分けてお送りすることにしました。
そこで次回の後篇では、他のカーリングに似た競技である“スポールブール(sport boules)”や“ペタンク(pétanque)”、そして“ボッチャ(boccia)”等を紹介致しますので、是非、ご期待ください!!
-終-
【参考】カーリング(curling)については、その歴史は15世紀~16世紀のスコットランドもしくは北欧の国々が発祥の地であるとされ、当初は底の平らな川石を氷の上に滑らせていた様です。古いものでは、1511年という年号が刻印されたストーンが発見されており、またスコットランドのグラスゴー近郊のレンフルシャーで行われた1541年2月の日付があるカーリングの原形とも云えるゲームの記録が存在しています。更に、有名なベルギーの画家のピーテル・ブリューゲルの作品『雪中の狩人』(1565年)の遠景には、氷上でカーリング(の様な遊び)を楽しむ人々が描かれているのです。尚、カーリングという名称の初出は、1630年のスコットランドで印刷された文書の中で確認されていますが、スコットランドでは16世紀から19世紀にかけて冬季に戸外でのカーリングが盛んに行われていた模様です。しかしカーリングの現在の公式ルールは主にカナダで確立されたもので、同国では1807年に王立カーリング倶楽部が設立されました。1832年にはアメリカでもカーリングのクラブが誕生し、さらに19世紀の終わりまでにはスイスやスウェーデンへと広まっていきました。
後篇 ⇒ カーリングに似たスポーツ(後)、スポールブール・ペタンク・ ボッチャとは
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