日本の鉄道博物館訪問シリーズ 第8回  京都鉄道博物館その1 蒸気機関車/前編〈17/38TFU03〉

2016年4月29日、京都鉄道博物館はオープンしました。日本でも最大級の鉄道博物館。前身の梅小路蒸気機関車館と交通科学博物館が統合され、古典蒸気から新幹線まで、53両の収蔵車両を誇ります。期待に満ちて訪れたこの施設ですが、そこには予想を上回る感激がありました。なにしろ両数が多いので、4回シリーズでお送りします。初回は、蒸気機関車の前編です。(2019年7月訪問。写真はすべて筆者撮影。)

なにしろ蒸気機関車だけで23両!もちろん、日本でここだけでしか見られない形式もあり、価値は大変なものです。そしてまた、1914年に建てられた扇型の機関庫に並べられ、中央のターンテーブルなどのロケーションも相まって、機関車を見た!という実感はひとしおです。館内の広さや、展示物はのちのち説明させていただくとして、展示してある蒸気機関車を(なるべく)古い順にご紹介します。

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製造は1903年といいますから、御年116歳!JR西日本が保有する車両で、最も古い国産最初の量産型機関車です。シンボル的存在だからでしょう、本館の入口正面を入ってすぐの場所に飾られています。製造後は米子、新舞鶴などに配置され、1953年から高砂工場で使用され、1959年の廃車後は鷹取工場で保管されていました。大阪にあった交通科学館で保存展示が始まったのが1967年。 その年には準鉄道記念物の指定を受けています。老若男女や海外からの観光客も多く訪れるこの博物館ですが、日本人よりも海外のお客さん、特に欧米系と思われる方々がカメラを向けていたのが印象的でした。

1801

こちらは海外製造の機関車。製造は233よりも22年古く、1881年生まれ。 イギリスのキットソン社の製造です。
配置当初は京都-大津、長浜‐敦賀-大垣のいずれかで使用されていたようで、主に勾配用の機関車でした。その後は神戸に移動、1929年 ~1932年には海を渡って、高知鉄道に譲渡。さらに1941年 には東洋レーヨンに譲渡。国鉄には1964年に戻って?来ました。この機関車が置かれているあたりは、本館内でも歴史ゾーンで、足早に通り過ぎるひとが多かったです。

1080

いい佇まいですねー。「ネルソン」と呼ばれるこのスタイル。オールドファンにはたまりません。この機関車もドラマチックです。製造は1901年 イギリスのダブスという製造所。同年、鉄道省に輸入されました。もともとは炭水車を牽くテンダ型でしたが、1926年にタンク機に浜松工場で改造され、 鉄道省の1080となりました。国鉄を払い下げられて1940年に日鉄鉱業に譲渡。赤谷鉱業所で専用機として働いていました。そして、1955年に赤谷鉱業所の運搬合理化により不要となったところ、社長命令で羽鶴専用鉄道配属が決まり、1957年に栃木に移動しました。国鉄から蒸気の煙が消えてからも、時々運転され、廃車は1980年頃だったそうです。
2009年に梅小路蒸気機関車館に寄贈されてきました。

7105《動態》 ”義経号”

この機関車は展示の歴史でした。製造は1880年。アメリカの ポーター製。新製配置は、北海道の幌内鉄道。1889年には北海道炭鉱鉄道、鉄道国有化で1906年 鉄道作業局に。1909年に改番で7100型となりました。1912年前 に北海道建設事務所に貸与。1922年ころに 梅鉢鉄工所に払い下げられました。1952年には、鉄道80周年式典で 原宿駅に展示されたこともあります。その10年後の1962年 鉄道90周年記念博覧会では晴海に展示。準鉄道記念物指定は 1963年10月14日のことでした。そして奇跡の動態復元を1980年に鷹取工場で行われます。その年の1980年7月7日、 北海道鉄道記念館で 義経・しづか の両機が再会を果たします。その後も、1982年の世界の鉄道博、1990年の 国際花と緑の博覧会でも動態展示されました。その後も保存場所を移動(1991年 交通科学館、1997年 梅小路蒸気機関車館(スチーム号)また展示も2002年 北海道鉄道記念館。そして2014年当時の梅小路蒸気機関車館に保存場所を移し、今日に至ります。

8630《動態》

製造は1914年。配置は大宮で、その後1926年千葉、1930年成田、1934年安房北條、1939年常陸大子、1952年に平と移動を重ねます。そして、国鉄で続々蒸気機関車が姿を消していた1970年になんと、弘前へ。入れ替えや五能線でのローカルに充当されていました。1972年9月14日 梅小路へ。あれ?機関車は?

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1914年 川崎造船所で製造。東京に配置され、1933年 松本、 1938年 上諏訪、1940年甲府、1941年 富山、その後北海道へ。1941年に 倶知安、 1955年に小樽築港。小樽に在籍中、NHKの朝の連続ドラマで抜擢され、有名になったそうです。 1972年に梅小路に安住の地が決まり、北海道仕様から標準タイプに戻されました。
当初は動態保存でしたが、現在は静態保存に変更されています。

C11 64
製造は1935年 川崎車輌。新製配置は1935年 奈良。以降は移動が多く、順番に1938年 湊町、1939年北海道へ。 滝川、1939年 深川、1939年 野付牛、1940年 深川、1940年 室蘭、貸渡で1943年 静内、標茶。1944年 宮古へ移動、1948年 仙台、1954年 会津若松。会津線、日中線などで活躍しました。1972年に梅小路入り。
当初は山陰本線などで動態運転をしていましたが、現在は火を落としています。ヘッドライトが大型のLP403でよく見るとアンバランスな印象を受けました。

C51 239
日本の鉄道の三大エポックメーキングは「新幹線」「こだま」そして「C51」と言われています。20mを超える全長、従来の1600㎜から一挙に大型化された1750㎜の動輪など、当時の常識を覆すデザインでした。イギリスとドイツの機関車の流れをくみつつ、日本型にした流麗な姿。格式ある馬車のようなスポーク。つばの張り出したシルクハットのような太い煙突。当時の鉄道ファンが熱狂したというのも、わかります。
超特急「つばめ」の牽引機として。お召列車の専用機として。貫禄と風格はいまだに漂っていました。キャブには70歳を超えるようなオールドファンがいつまでも動かずに、感慨深そうに座っていました。
製造は1927年。品川に配置。栄えある御召牽引は1928年11月6日 昭和天皇即位の際、東海道線の東京から沼津間
でした。さらに1933年10月22日 陸軍大演習(北陸)の際も、東海道線 東京から沼津、1934年11月10日 陸軍大演習(北陸)、高崎線 上野から前橋。最後のお召牽引は1953年5月6日千葉での 植樹祭でした。牽引回数の記録は104回という大記録をもっています。その後は、1955年 直江津、1958年 新津、1959年 新潟。時には臨時急行なども牽いたようです。新潟時代には給水暖器、キャブ屋根延長などの改造が行なわれましたが、それはそれでいかめしい姿に人気が出たようです。廃車は1962年。その後は1963年で新潟学園。新潟教習所時代はカットボディーにされてしまいました。しかし、梅小路での保存に際し修復されました。火室内もきちんと直されていました。2004年10月の鉄道記念日、梅小路機関区90周年を記念して、給水温め器を取外し、ランボードの手すりなどを取り付け、お召し装備となりました。
いい雰囲気です。ぜひターンテーブルにも載せてもらって、じっくり見せてほしいです。

C53 45
国産機の唯一の3シリンダです。筆者は残念ながら、現役当時を知りません。三拍子の独特のブラスト音も聞いたことがありません。中央のボイラ下の正面のステップは、ここにシリンダがあるので、独特の表情です。製造は1928年。新製配備はここ、梅小路。1938年 姫路、1943年 宮原、1945年 梅小路と移動しました。
廃車は1950年。皮肉なもので、この3シリンダが保守に難渋し、廃車を早めました。
その後、国鉄吹田教習所で保管。さらに交通科学館で保存されていました。
3シリンダ、気になります。動態復元を期待したいものです。

B20 10
1946年製。遊園地の乗り物のような機関車です。太平洋戦争末期に規格を統一して量産しようとした試みの結果、生まれた機関車。入れ替え用にしか用途のなかった機関車です。よく「機関区のマスコット」などといわれますが、筆者はどうしてもこの機関車が中途半端で、好きになれません。

以上で今回はおしまいです。次回はC型、D型の大型蒸気を特集します。C62スワローエンゼルと感動の再会!え、C62が3両も?ほかにもあの機関車が。そしてドラマチックすぎる経歴をもった機関車も続々登場します。次回も、お楽しみに!

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