【ふぇいばりっと・ぴあにすと、名盤この1枚】 その〈12〉 マル・ウォルドロン/Mal Waldron 〈JKI00〉

マル・ウォルドロン/Mal Waldronは、米国ニューヨーク州ニューヨーク市出身のジャズピアニストで1925年8月16日の生まれ(誕生年については1926年説あり)。
1950年代前半にはサックス奏者のアイク・ケベック/Ike Quebecらと共演し、その後はプレスティッジ・レーベルのハウス・ピアニストとして多くのセッションにサイドマンとして起用されました。1954年~1956年にかけてはチャールス・ミンガス/Charles Mingus・グループのピアニストして活躍、傑作アルバム『直立猿人』の録音にも参加。
1957年からはビリー・ホリデイ/Billie Holidayの伴奏者となり、1959年に彼女が他界するまで行動を共にしましたが、1960年、ホリデイの作詞にウォルドロンが曲をつけたビリー・ホリデイへの哀悼曲『レフト・アロ-ン』を発表、著名なスタンダード・ナンバーとなりました。
1961年~1962年には、エリック・ドルフィー/Eric Dolphyとブッカー・リトル/Booker Littleの双頭コンボに参加し、ファイブ・スポットでの歴史的なライブ録音でも演奏しました。
1965年にはイタリアに移り、その後はドイツを根拠地にヨーロッパで演奏を続けます。1970年代以降、欧州を中心に米国や日本で幅広く活動を行ない、特に我国での人気が高く、度々来日を果たしており、国内制作のアルバムも数作残しています。
また1980年代に日本人の彩紋洋実さんと再婚し、同時期にベルギーのブリュッセルへ移住します。ちなみに、この妻のヒロミ・ウォルドロンさんは、日本国内において「彩紋洋実」の名義で、写真家として活動していました。
2002年12月2日、マル・ウォルドロンは、ベルギーのブリュッセルで死去しました。
彼の、バップ・ピアニストとしての基本はパウエル派のスタイルを汲んでいると考えられますが、軽やかにスイングする様なプレーはごく初期を除いて見られません。独特のタイム感覚や打楽器的タッチ、そして時々顔を覗かせる不協和音の効果的な使い方などはモンクからの影響でしょうか。そしてビリー・ホリデイとの共演を経て、哀愁を帯びた孤高を追求する彼の姿が定着していきます。
さてこの人の代表作としては、やはりベツレヘムに吹き込んだ『レフト・アローン/Left Alone』(1959年2月NYC録音)を挙げるべきでしょう。ビリー・ホリディのピアノ伴奏者を務めたウオルドロンが、ホリディの死後に捧げた追悼アルバムで、特にタイトル曲での切々とした情感豊かなジャッキー・マクリーンのアルトsaxの表現は、稀代の名演としても高く評価されています。またあまりにも有名な楽曲であることから、ホリディが自ら歌っているテイクを探すジャズファンもいる様ですが、残念なことにこの曲は彼女の死後に作曲されたことから、当然ながらホリディ版の録音は残っていません。尚、ウォルドロン以外のメンバーは、ジャッキー・マクリーン/Jackie McLean (as)、ジュリアン・ユーエル/Julian Euell (b)、アル・ドリアース/Al Dreares (ds)となっています。
他のおススメ盤には、昔よくジャズ喫茶でかかっていたトリオ盤『MAL-4/マル-4』やエリック・ドルフィー、ブッカー・アーヴィン/Booker Ervin、ロン・カーター/Ron Carter、ジョー・ベンジャミン/Joe Benjamin、チャーリー・パーシップ/Charlie Pershipが参加した『ザ・クエスト/The Quest』(1961年録音)、ここでのドルフィーのプレーは当然ですが、tsのブッカー・アーヴィンの熱演も大変評価が高かかった記憶があります。そして最後は何と言ってもピアノソロの傑作アルバム『オール・アローン/All Alone』で締めくくりたいと思います。
1980年代以降にも秀作があるのでしょうが、(申し訳けありませんが)その時期から後のものはよく存じていませんので割愛させて頂きます!また、彼のソロ演奏は、あまりの暗さに気が滅入る場合も無きにしも非ずであり、(特にソロプレ-については)たまに聴くのが良いピアニストかも知れません(笑)。
〈終〉

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投稿者: 准将

何にでも好奇心旺盛なオジサン。本来の職業はビジネス・コンサルとマーケッター。興味・関心のある分野は『歴史』、中でも『近・現代史』と『軍事史』が専門だ。またエンタメ系のコンテンツ(音楽・映画・ゲーム・マンガなど)には仕事の関係で随分と係わってきた。今後のライフワークとして儒学、特に陽明学を研究する予定である。kijidasu! 認定投稿者第一号でもある。