SL好きはもとより、鉄道ファンは大興奮のイベントだった『みちのくSLギャラクシー号』の牽引機C-58 239号機とD-51 498号機を紹介するゾ!! SLは全区間を牽引したのではなく、最初がC-58、最後にD-51が登場。途中はELのED-75やEF-510が牽引、最後にEF-65がD-51の後補機を務めた。しかし都内の市街地沿線をSLが走行するのは10年ぶりとのことだ。
フジテレビ「みちのくSL縦断プロジェクト」について
フジテレビがJR東日本の協力を得て実施した東北復興支援の大型イベント「みちのくSL縦断プロジェクト」。 SL牽引の特別列車が東北三県から東京・上野まで走り抜ける『みちのくSLギャラクシー号』が、岩手県釜石市から花巻市、宮城県仙台市、福島県福島市から東京・上野へと、3月7日(金)、8日(土)の2日間をかけて東北地方を縦断した。その模様はフジテレビが独占放送し、いくつかの番組で放映された。
↓『みちのくSLギャラクシー号 鶯谷通過』 制作:H12の鉄道動画
すべての番組をチェックは出来なかったが、やはりSLが走る姿は最高だ。特に東京の市街地沿線を快走するD-51牽引の『みちのくSLギャラクシー号』の姿には感動した!! では早速、その『みちのくSLギャラクシー号』の牽引機を紹介していこう。
牽引機を紹介
【C-58 239】 先ずは、出発時、最初の牽引機であるC-58 239号機から
C58形蒸気機関車は、国鉄(当時は鉄道省)が導入した 客貨両用の中型蒸気機関車で、支線・ローカル線用に軽量で速度性能と牽引力を併せ持った万能機として設計された。
1938年(昭和13年)から1947年(昭和22年)にかけて431両(樺太庁鉄道向け14両含む)が製造されている。事実上の前クラスだったC50形が性能的に振るわなかった為、また大量に戦時供出された9600形の補充の為に、その製造・増備は急ピッチで進められた。
尚、愛称は「シゴハチ」と呼ばれることが多い。 国鉄の蒸気機関車(テンダー式)の中では唯一の軸配置1C1形式(海外では2-6-2、プレーリーと呼称される)である。
デザイン的にもすっきりとコンパクトに良くまとまっており、近代的な国産SLとしての一つの完成形ともいえる。外見的特長としては、煙突前の給水暖め装置の設置がD-51量産型に似た煙室正面から見た姿を演出しており、また初めて密閉型運転室が採用され、床部後方が延長され炭水車(テンダー)に接する部分に扉が設置された。
しかし温暖な九州などの地域ではこの扉を外して使用したものもあった様だ。 C-58は梅小路蒸気機関車館をはじめ全国各地に(主に静態)保存機が展示されており、そのうちの3両が動態保存だ。
2014年現在では、実際に運転が可能なのは本機を含め2両(他の1両は秩父鉄道の363)だ。 本機は、1940年(昭和15年)6月に川崎重工業の兵庫工場で落成(製造番号2321)し、1940年(昭和15年)6月26日に名古屋局に配置された。
1941年(昭和16年)3月に一旦、奈良機関区に配置転換されたものの、戦争中の1943年(昭和18年)5月には宮古機関区に転属となった。以降、1970年(昭和45年)3月に盛岡機関区に移籍するまで長期間にわたり山田線・小本線(岩泉線)で活躍してきたが、1972年(昭和47年)5月22日には廃車となった。
岩手県盛岡市の岩手県営交通公園(県営運動公園南)にて静態保存されていたが、JR東日本は2012年(平成24年)12月4日に動態化・復元のために大宮総合車両センターへ移送して約1年間にわたる復元工事を実施した。2013年(平成25年)12月12日に火入れ式が実施され、2014年(今年)1月6日に盛岡車両センター所属として車籍復帰した。
復元後の改造・変更点としては、まずテンダーの重油タンクが新製され、以前の重油タンクと換装されてテンダーに内蔵され、すっきりとした外観となった。
運転室の窓枠もニス塗りとなり、LEDによる標識灯を追加し、ヘッドライトは主灯・副灯の2灯装備となり2灯ともシールドビームのLP405形が装備された。
煙室の扉ハンドルも従来と同様の黒色塗装となり、白線飾り帯も廃止された。また、特徴的だった郡山式の集煙装置については新製もしくは再設置は行われなかった。
スノープラウ(排雪器)については、浅めの角度のタイプを新製し装着している。更に新型の保安装置であるATS-P形とATS-Ps形が変更・追加装備されている。またデジタル無線が装備され、また速度計も電気式となった。
各地で活躍したC-58 239号機は、東北復興支援の為に再び「みちのく」の空の下で列車を牽引することとなった。是非、頑張ってほしい!!
【D-51 498】 次は終点上野までの本務牽引機であるD-51 498号機
D51形蒸気機関車は、1936年(昭和11年)から1945年(昭和20年)にかけて製造され、総生産数が合計1,115両と国内では最も多く作られた形式の蒸気機関車であり、戦前からSL最晩年期まで日本全国で活躍した名作万能蒸気機関車だ。
生産台数も多く活躍した期間も長いため、そのバリエーション(初期形、戦時形、標準形など)も多い。本来は貨物列車牽引用の機関車であったが、旅客用としても多用された。尚、「デゴイチ」または「デコイチ」の愛称で親しまれ、我国の代表的な蒸気機関車でもある。
軸配置1D1形式(2-8-2、ミカド、因みにミカドは「天皇」のことで、この軸配置タイプのSLが米国において最初日本向けに主に生産されて輸出されたためにこの様に呼ばれた)であり、前クラスのD50形の後継機として開発された。
電気溶接を多用した構造と工法の見直しで、軸重の軽減と全長の短縮により丙線への入線が可能となり、全国各線への配備が為された。また全長の短縮は亜幹線クラス以下の路線に多数存在した60フィート転車台(ターンテーブル)の利用(方向転換)が可能となり、本形式の運用範囲拡大に寄与した。
戦時形ではボイラー圧力の増加がなされ、動軸重の増加も相俟って牽引力が増大した。初期形や標準形についても戦後に缶圧の増加と輪重増大改造が行われた。尚、498号機は標準形である。
↓『蒸気機関車 SL D51-498 外観ディテール映像集』 制作:caruze67
本機は、1940年(昭和15年)11月24日に鉄道省鷹取工場にて完成し、岡山機関区に配備された。以降、吹田、平、長岡第一、直江津 、新津、坂町と各機関区で活躍した。その後、1972年(昭和47年)10月の鉄道100周年記念での八高線で運転されたイベント列車の牽引を最後に運用から外れ、同年12月1日に車籍抹消・引退となった。
引退後は上越線の後閑駅に静態保存されていたが、1988年(昭和63年)に大宮工場で復元工事が行われ、同年11月25日までに完成した。その後、動態保存機として車籍が復活、正式に高崎運転所に配属され、現在は上越線を中心に臨時列車や「SLみなかみ」などのイベント列車の牽引に従事している。
復元での改造点は、標準形の原型に近付けるために前照灯(ヘッドライト)をLP403形からLP42形に変更した。
デフレクターのバイパス弁点検口を閉ぎ、キャブ屋根延長部を切除した。テンダー重油タンクの小型化も実施された。その後、スノープラウ(排雪器)も常備化された。
2006年12月にこれまで使用していたATS-SN形からATS-Ps形に改造・変更され、2010年には、防護無線装置の更新が図られデジタル無線へ置換されている。また速度計も電気式となった。
当機の汽笛の音色は復活蒸機の中では音色のバリエーションが一番豊富である。現在の音色は、C11形などでよく聞く伝統的な音に近いものだ。
復活から25年以上が経過したD-51 498号機。JR東日本の顔として、まだまだ活躍を期待しているぞ!!
-終-
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