モーリン・オハラ、宮崎駿監督と同時にアカデミー名誉賞を受賞!! 〈18JKI07〉

紅の豚151lXE4VsB4L米映画芸術科学アカデミーは8月28日、映画界で大きな業績を残した世界の映画関係者に贈るアカデミー名誉賞を、アニメ映画監督の宮崎駿(はやお)氏に授与すると発表した。

日本人が同賞を受賞するのは1990年の黒沢明監督以来で2人目の栄誉である。

しかし、本稿は宮崎監督について語るものではなく、同時受賞者のモーリン・オハラを取り上げたものである。

 

皆さん、先ずは、この動画を観て頂きたい。

↓映画荒鷲の翼』(1957年)の冒頭場面    提供:アイカワアキラ

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【注意】

当初、掲載していた動画が提供元の都合で配信停止となりましたので、代替に映画『荒鷲の翼』の予告編をご覧いただきますが、内容が異なりますことを、ご了解ください。また、以下の本稿文章は当初掲載の動画を前提に記述しておりますことをご理解願います。

↓映画荒鷲の翼』予告編  提供:WAR MOVIE TRAILER

これって、まさに宮崎監督の『紅の豚』の世界観そのもので、舞台がイタリアとアメリカの違いさえなければ、ドンピシャの雰囲気。ジョン・ウェインが演じるスピックの破天荒なキャラはポルコそのものだし、ジーナよりは少しばかり騒々しいミニー(モーリン・オハラ)が身に着けている衣服や手に持つパラソル、そしてクラシックカーでの追跡とドタバタ劇。結局はフロート付の水上機で、曲芸まがいの飛行の末にパーティ会場のプールに不時着する主人公。最後の方でオハラ演じるミニーが陸軍の大尉を殴ろうとして空振るところが、(いかにも宮崎作品の女性登場人物的で)カワイイ。また、ミニーの鉄拳をうまく避けた陸軍大尉も、何となく宮崎アニメ特有の敵役の面相にクリソツだ。

もちろん『荒鷲の翼』の方が宮崎作品より遥かに古いのだから、(もしかしたら)宮崎監督が参考にしたかも知れないと考えるべきなのだ・・・。

今回、宮崎監督と同時にアカデミー名誉賞の受賞が決まった内のひとりがモーリン・オハラ。御年、なんと94歳である。彼女について調べてみたので、改めてご紹介しよう。

オハラ7m-oharaモーリン・オハラ(Maureen O’Hara)はアイルランド出身の女優で、1920年8月17日にアイルランドのダブリン郊外のラネラ で生まれた。本名はモーリン・フィッツシモンズ。ジョン・フォード監督の作品やジョン・ウェインとの共演作に多く出演している。紹介した『荒鷲の翼』などはその典型的作品だ。

多くの兄弟姉妹の中で腕白な子供時代を送っていたが、演技と歌に関する興味を持った彼女は14歳でアイルランドの劇団アビー・シアターに入団、その後、ダブリンで舞台劇などに出演していた。1937年にはジョージ・ブラウンと結婚( 41年には離婚、以後、ウィル・プライスと再婚し一女をもうけたが53年には再度、離婚 )する。

1938年に英国へ移り、チャールズ・ロートンの会社に入社して映画女優となる。名前がフィッツシモンズでは長すぎるため、ロートンは彼女にオハラという芸名を名付けた。

ロートンがハリウッドに進出した時にオハラも同行して『ノートルダムのせむし男』(1939年)に出演の後、1941年、同じアイルランド出身のジョン・フォード監督の文芸大作『わが谷は緑なりき』に出演した。 この映画でオハラはジョン・フォード監督に認められて、それ以降、フォード作品の常連キャストとなる。オハラはフォード監督が理想とする芯の強い女性にピッタリだったのだ。

1950年の西部劇『リオ・グランデの砦』ではフォード監督の秘蔵っ子俳優ジョン・ウェインと共演した。 パワフルで長身のウェインにも引けをとらないオハラ、この二人のコンビは当時の観客から大絶賛を博し、フォード監督は『静かなる男』(1952年)でも二人を主役に起用した。

因みに、フォード監督とオハラの母国であるアイルランドでロケを行ったこの映画では、彼女はタイプや速記といった秘書業務のスキルを生かして、 ジョン・フォードの個人的な秘書としても活躍したといわれている。但し、後に彼女はフォードの暗く、陰湿な部分を自伝で暴露してもいる。

アイルランドの大自然を舞台に心に傷を負った男女の恋愛をコミカルに描いた『静かなる男』は制作者の予想に反して大ヒットを記録した。以降、アイルランド女性の代表といえばモーリン・オハラといわれるほど、赤い髪の彼女にはアイルランド女性のイメージが強かった。また前述の『荒鷲の翼』でもフォード監督は二人を共演させて、銀幕のベスト・カップルとしてファンたちを喜ばせた。(彼女は1979年にはガンに倒れたジョン・ウエインのために、アメリカ上院議会で彼に功労賞を贈るよう演説をすることになるが・・・どこまでも勝気で強く、しかし優しい女性である)

ジョン・フォード作品以外でも『トリポリ魂 海兵隊よ永遠なれ』(1942年)、 『海の征服者』(1942)、『西部の王者』(1944)、『海賊バラクーダ』(1945年)、『センチメンタル・ジャーニー』(1946年)、『船乗りシンバッドの冒険』(1947年)などの冒険活劇や西部劇、コメディからシリアス・ドラマなどあらゆるジャンルの作品に出演して押しも押されぬハリウッドの人気女優となった。47年のクリスマス映画の名作『三十四丁目の奇蹟』では、自分のもとに現われた老人を本物のサンタだと信じる働く女性役(キャリア・ウーマン)を好演して高い評価を得たが、この頃はどちらかというとアクション映画のヒロイン役が多い。

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