1950年代の彼女の出演作品の中で、筆者の推薦作といえばジョン・フォード監督の『長い灰色の線』(1955年)となる。芯は強いながらも可愛らしく、健気(けなげ)にタイロン・パワー演じる夫を支える妻役を評価したい。それから、グレアム・グリーンの小説をキャロル・リード監督が映画化した『ハバナの男』(1955年)での、秘書ベアトリスの役が記憶に残っている。
60年代には、日本でも有名なエーリッヒ・ケストナーの児童文学『ふたりのロッテ(Das doppelte Lottchen)』を原作とした映画『罠にかかったパパとママ』(1961年)での母親役、ジョン・ウェインと再び共演したコミカルな西部劇映画『マクリントック』(1963年)での、ウェインに離婚を迫るツンデレ奥様、ヘンリー・フォンダと子だくさんの夫婦役を演じた『スペンサーの山』(1963年) などに出演、精力的に活動を続けた。また少々意外かも知れないが、1961年にはサム・ペキンパーのデビュー作『荒野のガンマン』にも出演している。
1968年には飛行家のチャールズ・ブレアと再々婚した。 結婚後は家事に専念するためか映画への出演は大幅に減り、フォンダと再共演した1973年の作品でJ・E・スタインベック原作の『赤い仔馬』(L・マイルストン監督の1949年同名映画のリメイク)を最後に、芸能界からの引退を表明した。
引退後はバージン諸島で夫と共に航空会社アンチル・エアボート社の運営や自ら創刊した雑誌『The Virgin Islander』のコラムニストとして活躍していたが、1978年のブレアの飛行機事故死(CIAの陰謀説あり)によって、 アンチル・エアボート社の経営を引き継いだオハラは、この航空会社の最高経営責任者となった。
その後、1991年にクリス・コロンバス監督の強い要請でロマンティック・コメディ『オンリー・ザ・ロンリー』で映画界に復帰を果たした。 ジョン・キャンディ演じるマザコン気味の警官ダニーの頑固で意気盛んな母親ローズを演じて好評を得たのだ。
その後も、『The Christmas Box』(1995年)や『Cab to Canada』(1998年)などのテレビ映画に出演して元気な姿を披露していたが、『The Last Dance』(2000年)を最後に、事実上の引退生活に入った。
演技だけでなく歌も玄人はだしのオハラは50年代頃からテレビにも出演し、ペリー・コモやボブ・ホープらの番組に度々顔を出しては自慢の喉(のど)を披露している。
実際、2枚のLPを残している彼女だが、スタンダードを歌った『Love Letters From Maureen O’hara』は、ジャジーな曲が多く含まれておりJAZZボーカルのファンも知っている佳作。
もう一枚は出身地のアイルランドの楽曲を中心を歌った『Maureen O’Hara Sings Her Favourite Irish Songs』で、「Nora Lee」(「Love Me Tender」の元歌)、「Johnny I Hardly Knew Ya」(「ジョニーが凱旋する時」の元歌)などの親しみやすい曲が収録されている。
気丈な女のイメージのオハラだが、その声質は柔らかくてトゲトゲしい感じはない。リズム感も良く、JAZZ系の楽曲でも充分スイングしている。しかし全体としての印象は、端正で折り目正しく上品な歌い方だ。
そういえば『荒野のガンマン』の主題歌も彼女だったと思う。
彼女は、その美貌とスクリーンに生える燃えるような赤い髪の毛、そして吸い込まれそうなグリーンの瞳から「テクニカラーの女王」と呼ばれたが、本人は常に演技での好評価を期待していたという。
男勝りの役が多いのは、本来の彼女の性格なのか、後から作られたイメージなのかは定かではない。とにかく大柄な体格と華やかな顔立ち、アイルランド出身の勝気なキャラクターで人気のあった、20世紀を代表する大女優である。
-終-
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