1930年代から1945年の終戦までの間に、ナチス・ドイツが強奪した美術品等は60万点にも上るという。
戦後、それらの略奪品の返還作業は進められてきたが、数々の理由から遅々として進まなかった。
そして現在でも、その内の約10万点がまだ、行方不明とされているのだ・・・。
冒頭に掲げた、ゴッホ作の『医師ガシェの肖像』も、ナチスの強奪美術品の一つ。フランクフルト・アム・マインのシュテーデル美術館の所蔵品を、1937年にナチスが没収した。その多くの没収品の中から、ヘルマン・ゲーリングが個人的に持ち帰り、アムステルダムの画商に売却したとされる。そして、この絵は美術品コレクターのジークフリート・クラマルスキーが購入し、やがて買主とともに米国へと渡る・・・。
その後、1990年5月15日にニューヨークのクリスティーズでの競売で、当時の史上最高落札額の8,250万ドル(当時のレートで約124億5000万円)で、大昭和製紙名誉会長の齊藤了英が競り落とし話題となった。
齋藤の死後、この絵は密かに売りに出されたといわれ一時行方不明となったが、1997年に斎藤家より依頼を受けたサザビーズが非公開で米国のヘッジファンド投資家ウォルフガング・フロットルに一旦売却したが、2007年1月、フロットルが破産したことで、再びサザビーズがこの絵を引き取ったことが明るみになった。
この様に、競売などで取引されたことで所在の分かったナチスの略奪美術品は多いが、戦後、長い間、人知れず隠されて保管されているものも、まだまだ沢山あると考えられている。
2012年、ドイツで「戦後最大級」と評される、膨大な略奪美術品が個人宅で見つかった。この事件が完全に解決するまでには、まだしばらく時間がかかると思われるが、以下に事(こと)のあらましを紹介しよう。
かつて第二次世界大戦にかけてナチスに強奪されたとみられる美術品等が1,400点あまり(なんと時価総額で約1,400億円相当)も、引き受け手がなくて宙に浮いている、という事件。
正当な所有者の特定が難しく返却も進まない上に、美術館や博物館に寄贈しようにも、「盗品・略奪品」の対応には法的もしくは倫理的な問題が付きまとうためだ。
ナチスの強奪美術品等に関しては、本来の所有者などへの返還をすすめる「ワシントン原則」(後述)に世界の44ケ国以上が署名しているが、法的な拘束力がないために返還がなかなか進んでいないのが実態である。
本件で該当する美術品等は、ナチスが1930〜1940年代にドイツ国内のユダヤ人らや併合・占領地の所有者から強奪したとみられるもので、ドイツ南部ミュンヘン在住の美術品収集家コーネリウス・グルリットの自宅で発見されたことが、昨年(2013年)の11月にドイツのメディアで報道された。
もともとコーネリウスの父親ヒルデブラント・グルリットは、ナチス幹部で宣伝を担当していたゲッベルスとも親しい画商で、ナチスが収集(強奪?)した作品を多く扱っていた。
またマルティン・ボルマンを責任者とする「リンツ特務班」(後述)と呼ばれる組織の一員に任命され、当時独軍の占領下にあったフランス、主にパリで活動していた。そして、そこではドイツ国内で行なっていたようなユダヤ人などからの略奪行為ではなく、「美術商から正規に購入した」と戦後に連合軍の『モニュメンツ・メン』の調査に答えている。しかし現在では、それが偽証だった可能性が高いとされている。
戦後、コーネリウスが20代の終わり頃の1956年、父親が交通事故で死亡、遺産として多数の美術品を相続した。彼がその詳細な由来を知っていたか否かは、定かではないが、これだけの作品群であるからして何らかの疑いは抱いていたハズである。グルリットはこうした作品を戦後も密かに保管し、適時、数点を売却したりしながら生活を続けていた様だ。