【続:モニュメンツ・メンの戦い】 まだまだある、ナチスの略奪美術品を探し出せ!! 〈2316JKI28〉

ところで、「ワシントン原則(Washington Principles)」とは、略奪美術品の返却を促す国際間の取り決めのことだ。1998年に米国が主導して世界44ケ国がナチスに略奪された美術品等の出所確認と返却に関して協定したものである。

だが、この原則には拘束力はなく、実情は何の効果も発揮していないとも言われている。あくまで任意のもと、略奪された美術品を確認し、記録文書を公開し、所有者や相続人と共に「公正かつ公平な解決」を目指すとされている。但し、この「公正かつ公平な解決」には、正当な返還、支払い、または、本来の所有者と現在の所有者とが共同しての該当美術品の売却、そして利益分配、または美術館での美術品の展示、歴史的背景の紹介といった行為まで含まれると解釈されている。

協定署名から16年たった現在でも、ドイツやフランス、オーストリア、オランダ、そして英国などでは、正しい所有者や該当美術品の出所調査のイニシアチブを握るのは国家機関などではなく、あくまで本来の所有者の(現在であれば)相続人たちである。

また、スペインやイタリア、ハンガリー、ポーランド、ロシアなどは署名はしたものの、現在も略奪品の返却を拒んでいるありさまだ。

更に、問題となっている美術品等の大部分は米国に所在しているため、現実にこの「ワシントン原則」の効力を発揮させるには、米国内での返還運動の活性化が大きな課題といわれている。

2009年の「テレジーン宣言」には、更に2ケ国が署名しているが、多くの美術品等の正当な所有権の解明は依然として進んでいないという。

 

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ゲーリング所蔵の略奪美術品を調べる連合軍兵士

さて、ナチス・ドイツにおいて組織的な美術品の簒奪が行われた理由には、総統ヒトラーと国家元帥ゲーリングという二人の国家指導者が、狂信的で変質的な美術愛好家だったことが大きな理由だとも云われている。

そのため、独軍やナチス諸組織にとっては、戦時中でも絵画などの美術品の略奪は優先的軍務とされた。

美術品の略奪には、独国防軍関係の芸術作品保護局やドイツ外務省のパリ大使館、そしてローゼンベルグ機関とリンツ特務班が大きな役割を果たした。

ローゼンベルグ機関とは、ナチス外務局長で党全国指導者アルフレート・ローゼンベルクの指揮下で美術品等の略奪を行なった組織である。元々はナチス・ドイツの諸々の「敵対勢力」に関する文書・文献などの収集や破棄を任務としていたが、やがては芸術品や文化遺産の略奪と破壊が主たる任務となっていった。

リンツ特務班とは、ヒトラーの生誕地であるオーストリアのリンツに開設する予定であった「総統美術館」のために、美術品を準備・収集する組織だった。ヒトラーの山荘ベルヒテスガーデンに近いミュンヘンに本部を置いていた。

尚、ローゼンベルグ機関が隠匿していた美術品は三万点を超え、リンツ特務班の略奪品はおよそ一万点に及んでいたともいう。

一方で、旧ソ連軍も略奪美術品を強引に多数押収し、その一部を自国に持ち帰り秘匿したとされる。

これらの活動に対抗するべく、カウンターパートととして組織されたのが、『モニュメンツ・メン(MFA&A) 』やミュンヘン中央美術品収集所(CCP)であり、CCPは1962年、文化財信託局(TVK)として再編された。

ドイツでは漸く1994年になり、前述のグルリットの所蔵品の公開などを行なっている遺失文化財連絡調整局が設立され、略奪美術品のデータベース化と返却にあたり煩雑となる手続きを一本化し簡素化することを目的として活動している。

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