3月7日、8日と東日本大震災の復興支援のために、JR東日本とフジテレビが合同企画で釜石~上野間を走りました。ニュースなどでもだいぶ取り上げられたので、ご覧になった方も多いと思います。牽引してきたSL(D51)にもちろん注目が集まり、上野駅もものすごい人の数でした。東京にSLが走ること自体、10年ぶりということなので当然です。ところが私は、別の感慨を持ってこの列車を迎えました。それは牽引されてきた車両たちの姿でした。この車両たちはあちこちと改造され、それでも幸運に生きながらえた面々なのです。鉄道マニアでは常識かもしれませんが、あえてその歴史を書きたいと思います。
昔(1997年)、北海道に赤い客車が登場しました。名前を51系客車といいます。彼らはそれまで北海道に走っていた古い客車たちの交代メンバーとして颯爽と登場したのです。それまで走っていた客車は茶色や青のくすんだ車体でしたが、ピカピカの赤に塗られた彼らの仲間は「レッドトレイン」などと呼ばれ歓迎されました。
ところが1990年代に入ると、「機関車が客車を引っ張る」というスタイル自体が見直され始めました。非常に簡単に言うと、電車やディーゼルカーのほうが効率よく運転ができるためです。北海道でも新しいディーゼルカーを増やさねばならず、とはいえ新しく車両を作るのもなーと考えていたところ、大量に配備されていた51系客車達に目が向けられたのでした。「こいつらを改造してディーゼルカーにしてしまおう!」今まで機関車の後ろにくっついて、おとなしく引っ張られていただけの彼らは運転台がついたり、ディーゼルエンジンを乗せられたりと大改造を受けたのです。塗装も赤から、他の仲間のディーゼルカーと同じような色に塗り替えられてしまいました。
彼らは北の大地を、雪の日も暑い日も黙々と走り続けていました。2010年頃になると彼らの仲間には廃車されるメンバーもでてきました。解体を免れても、なんと海外に渡ったメンバーも出始める始末で、彼らの活躍の場はますます狭くなっていってしまったのです。もうこの形式もこれまでか・・、そう思っていた矢先にあるプロジェクトの話が降って湧いたのです。「東北にSLを走らせよう」なんとそこに走ることになったのが彼らの仲間のうち、幸運な4両でした。住み慣れた北海道をわたり、東北の工場で改造や塗装の変更も受けて、車内も有名なデザイナーの手で見違えるようになりました。
彼らは元客車であり、ディーゼルカーであったわけです。北海道にいた頃はなんてことはない、「改造車」だったわけです。ところが東北に渡ってきた彼らは「SLに引かれる客車でもあり、単独で走ることもできるイベント列車」に生まれ変わったのです。しかも、彼らが主に走る、釜石線は勾配区間が多くSLの力だけではパワー不足。そこで「元客車だけどディーゼルエンジンを積んでいるのだ、パワーも補ってしまえ!」という力強い期待もこめられました。こんな例は、他にはありません。SLを元客車の彼らが後ろから力を合わせて押すなんて、登場の頃は夢にも思わなかったでしょう。
そして彼らは2014年3月7日、上野を目指して釜石を出発しました。3月8日、晴れ渡る東京の空の下をデゴイチ(D51 498号機)に牽かれて、いたるところマニアや見物者、マスコミのカメラや歓声に迎えられて上野駅に入線したのです。思えば遠くへきたものだと彼らは考えていたのではないでしょうか。北海道で真っ赤な客車としてデビューした日、ディーゼルカーになって通勤・通学客を乗せて走り回っていた日々。そんな彼らが上野駅へD51に引かれて入ってくるとは。そぞろ、涙が溢れてきます。人に歴史あり。車両にも歴史ありです。