龍の創造 -前篇- (東洋/中国における龍の成立の背景と過程) 〈2354JKI11〉

龍は皇帝の象徴

そもそも中国の古代神話において、皇帝たちの始祖である三皇の伏義と女禍も、上半身が人間で下半身が蛇の如き龍神であったとされています。(この二人は、アダムとイブとの類似点や洪水に見舞われる箱舟伝説にも関わるのですが、その点は別稿で触れたいと思います・・・)

また元来、中国では前述の通り龍は神獣・霊獣とされていましたが、「史記」における劉邦出生伝説(劉邦は龍の子として生まれる)をはじめとして、龍の創造は地上の支配者である皇帝の権力と関連付けられて、より強固に成立した模様です。

即ち、中国歴代の皇帝とは、神々からこの世界を預かる代理人であり、また神々の代弁者の様な存在として位置づけられているので、時としてその主上である神と連絡をとる必要がありました。その際に連絡係となり、地上の皇帝と天上の神々との間を往来したのが龍とされ、その為に龍は皇帝のメッセンジャーであり象徴とされたのです。

また皇帝が龍の子であるという諸説の中で、前述の劉邦出生伝説を記した司馬遷の役割は大きいものがありました。彼は劉邦(前漢の高祖:初代皇帝)の容貌を「隆準而龍顔」としているだけではなく、劉邦の母が身ごもる時、夢で蛟龍を見たと「史記」に記しています。更に劉邦以前の帝では、舜もまたその父は虹龍であるとしています。

司馬遷が、「史記」以前の時代において既に龍が高貴な聖獣とされていたことを利用して、意図的に皇帝権力の正統性を示し帝王伝説を創りあげる為に、皇帝は龍の子(または子孫)という説話を取り上げた(取り上げさせられた?)のは間違いないと思われます。

この司馬遷が生きた時代、時の皇帝の武帝(前漢の7代皇帝:劉邦の曾孫の劉徹)も龍の子とされました。そして同時代の書物「礼記(らいき)」も、天子(皇帝)の衣服を「龍袞(りゅうこん)」、天子の棺を載せる車両を「龍輴(りゅうちゅん)」と表現しています。

ところで四神(青龍・朱雀・白虎・玄武)の観念が成立し定着したのも、戦国時代末期からこの前漢初めの頃とされていますが、武帝の時代には皇帝の象徴である龍の位が際立って高くなり、他の三神との差別化が図られています。

この様に、この時代においてほぼ龍は、皇帝の権力と直結したイメージを持つに至りました。そしてその後、歴代の皇帝(天子)は単なる人の子ではなく、龍の子として絶対的な権力を保証されていったのです。

 

こうして龍は、あらゆる動物の頂点に君臨する、皇帝の象徴であり最高の瑞祥動物となっていったのです・・・。

(後編に続く)

龍の創造 -後篇- (東洋/中国における龍に関する話題の数々)・・・はこちらから

 

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