1940年5月10日のオランダ方面での爆撃から、ドイツ軍の西方攻勢は開始された。同日、グデーリアンの指揮する第19装甲軍団(第1、第2、第10の3個装甲師団基幹)は、西方攻勢の主力を担うA軍集団(司令官はフォン・ルントシュテット上級大将)所属のクライスト装甲集団(戦車1,222両が配備された当時最大規模の統合機甲部隊、司令官はフォン・クライスト騎兵大将)の先鋒として、アルデンヌ高地を走破してベルギーに侵入した。
翌11日以降、第19装甲軍団はアルデンヌ西部に進出、迎撃に姿を見せたフランス軍騎兵師団を蹴散らしながらムーズ河に向けて快進撃を始めた。その後、敵軍との戦いよりも味方同士の交通渋滞に苦しめられながらも、5月12日の夕刻にはムーズ河畔のスダン付近に到達した。
ムーズ河の対岸には、フランス軍第10軍団が約200門の火砲を用意してドイツ軍に砲口を向けていた。偵察機からこの状況を観察したグデーリアンは第2航空軍団(ブルーノ・レルツアー中将)に依頼して、13日早朝には約1,500機にのぼる多数の爆撃機の攻撃でこの砲兵陣地を粉砕した。
この後、ムーズ河を渡り対岸に橋頭保を築いた第19装甲軍団であったが、再び進撃を開始する為の態勢を整えるのに時間を費やしていた。しかしフランス軍の部隊の多くがドイツ軍装甲部隊の急進撃に恐れをなしてパニックに陥り、西方や南部へと四散しながら敗走していったのである。
17日にはモンコルネを進撃中のグデーリアン指揮下のキルヒナー中将の第1装甲師団に対して、ド=ゴール少将のフランス第4機甲師団が反撃を試みるが失敗して撤退する。
以降、第19装甲軍団は順調に西方に向けて進んでいたが、指示に従わず独断で進撃を続けるグデーリアンと、上官のクライストとの間で深刻な対立が表面化していた。一度は辞意を表明したグデーリアンであったが、ルントシュテット他の仲裁もあって軍団長に復帰する。
前進を再開した第19装甲軍団は、20日にはアミアンを経由してソンム河口のソワイエルを占領した。これにより、ベルギー北部の英仏連合軍はフランス本国との連絡を絶たれ完全に包囲されてしまった。
5月21日には、ダンケルクの南方80キロ付近のアラスで、英軍が反撃を試みる。王立戦車連隊と2個の自動車化歩兵師団がロンメル少将の第7装甲師団を襲撃したのだ。この時、ドイツ軍の対戦車砲では歯が立たない英軍のマチルダⅡ型歩兵戦車に対抗するために、ロンメル将軍は自ら最前線に出向いて88mm高射砲に水平射撃を命じて、この苦境を脱している。 結局、第7装甲師団の奮戦もあって、この英軍部隊は北方海岸地帯に向け撤退を開始した。
こうしてベルギーに展開していた英仏連合軍の大部分がダンケルク近辺の沿岸部分で袋の鼠状態となった。
ところが24日に、(部下の反対を押し切って)功名心に逸るドイツ空軍総司令官のゲーリング国家元帥が、ヒトラーにダンケルクの連合軍の掃討作戦は空軍だけに任せるように説得してしまう。陸上部隊の被害の拡大を恐れていたヒトラーはこれを承諾、装甲部隊に停止命令を出すことになった。
しかし当初、ドイツ空軍はダンケルク上空の制空権を確保出来ず、有効な爆撃が実施不能であった。ドイツの戦闘機の航続距離の短さが仇となったのである。ちなみにドイツ空軍は、27日の攻撃一日だけで西方攻勢開始以来の損耗機数と同じ数の被害を被っている。
次々にドーバー海峡を渡り撤収する敵軍についての報告に接したヒトラーは、地上部隊に再び進撃命令を出すが、既に手遅れであった。
グデーリアンの軍団がダンケルク港付近に到達する頃には、英仏連合軍の主力部隊はすでに撤退を完了した後だったのだ。
こうして6月4日までに33万人以上の英仏連合軍の残存将兵が英国本土への脱出に成功して、ドイツ軍はダンケルクの敵部隊の殲滅に失敗してしまった。
とはいえ欧州大陸から英仏連合軍の主力部隊を排除したドイツ軍は、6月5日には対フランス戦の第二段階を発動(作戦計画『赤の場合』)し、グデーリアンは第39と第41の2個軍団を保有するグデーリアン装甲集団を率いて、マジノ線の背後を南方へ向けて進撃した。
彼の装甲集団は、6月17日には(グデーリアンが幼少期に過ごした)アルザス=ロレーヌ地方を蹂躙してスイス国境のポンタルリエに到達した。
また14日にはドイツ軍はパリを無血占領し、6月21日にはフランスはドイツに降伏することになる。
そしてグデーリアンは、対フランス戦での戦功により7月19日には上級大将に昇進した。
-終-
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