フリードマンとチリ軍事クーデター
フリードマンは、チリ軍事クーデターの直後、国民がショック状態に投げ込まれ超インフレーションに見舞われて大混乱を来(きた)している姿を見ながら、自分が経済顧問を務めた独裁者ピノチェトに対して、減税や自由貿易、数々の民営化、福祉・医療・教育などの社会支出の削減、そして多くの規制緩和といった各種政策を進めるように進言したのだった。
その結果 チリ国民は例えば公立学校が政府の補助金を獲得した民間業者の所有になるのを呆然として見守るしかなかった。この時のチリの経済改革は極めて激烈なものであり、この手法をフリードマンは経済的な「ショック療法」と呼んだが、以後数十年にわたり、自由な市場優先政策の徹底構築を目指す各国政府の大多数は、このチリの経済改革=「ショック療法」の延長線の政策を採用してきたのだ。
こうして当時のチリでは、シカゴ学派の新自由主義経済に基づく経済運営が行われ、表面的にはその経済は発展した様に見えたが、同時に国民間の貧富の格差増大と対外累積債務の大幅な拡大を招いてしまう。そしてピノチェト大統領は、政権の中後期に至って壊滅状態に陥ったチリ経済の実情を、決して対外的には公表しなかったのだった。
ちなみに、それ以前の1970年代のアルゼンチン軍事政権下でも約3万人もの人々が逮捕・連行されたとされているが、その大多数はシカゴ学派の経済強行策に反対する左翼活動家だったともされている。
『ショック・ドクトリン』の魔の手
ナオミ・クラインの『ショック・ドクトリン』によると、フリードマンらの学者はその学説の信奉者と共に、過去30年以上にわたって新自由主義実現の戦略を練り上げてきたという。
その戦略とは、大規模なショック状態を利用したり、深刻な危機が到来するのを待ち受けては一般民衆がまだそのショック状態や危機の到来に驚愕している隙に多くの公共事業を細かく分割して民間に譲渡し、新自由主義的社会をその国に一気に定着させてしまう、というものなのだ。
またクラインは『ショック・ドクトリン』で、過去30数年間の世界の動向について、新自由主義とその信奉者の暗躍を示唆している。それは近年、世界各国で見られる人権侵害の多くが 単なる独裁的な勢力や非民主的な政権による残虐行為だと思われてきたことが、実は新自由主義者が標榜する極端な市場原理主義改革を導入する為に巧妙に計画された、その国の一般大衆を想像を絶する恐怖に陥れてショック状態に浸からせ様とする意図が隠された魔の手だったとする。