そしてこの新自由主義の信奉者には、上記チリのアウグスト・ピノチェト大統領やイギリスのマーガレット・サッチャー首相、そしてアメリカ合衆国のロナルド・レーガン大統領などがいる。
サッチャー首相は 1982年に起きたフォークランド紛争を巧みに利用して自国の炭坑労働者のストライキを完全に鎮圧したのを手始めに、西側の民主主義国家で初めて公共事業の大幅な民営化に着手した。
1989年の中国、天安門広場で起きた衝撃的な虐殺事件では、その直後から何万人という人々が逮捕されていった。中国共産党政権はそのショック状態を利用して、国土の大部分を広大な輸出区とする改革路線に乗り出した。そして、なんとフリードマンは 天安門事件の8ヶ月前に中国政府の要請で中国を(1980年に続いて二度目の)訪問、12日間もそこに滞在していたのだ。即ち、事件の前に鄧小平らの中国共産党幹部に新自由主義的な観点から各種のアドバイスしていたと思われる。ちなみに彼は、我国に関しては1982~1986年までの間、日銀の顧問をしていたのだ・・・。
また1993年には、ロシアのエリツィン大統領が共産主義体制の民営化を加速させたが、その結果、悪名高い新興財閥「オリガルヒ(oligarch)」を生むことになる。
しかし、ソ連体制崩壊の進捗にともなって勃興したこれらの新興財閥の私的な利権に対して、国益を優先とする抑圧政策を採用したのが、ウラジーミル・プーチン大統領/首相である。エリツィン政権と癒着してマスコミを支配、多くの国営企業をタダ同然で買収しては私腹を肥やしていた「オリガルヒ」は、こうしてプーチンにより順次解体・制圧されていった・・・。
同時期に、(中国やロシアはともかく)ポーランドの連帯やマンデラ大統領の南アフリカでも、例の「ショック療法」が実行に移されて新自由主義的な政策が施行されていたのだ。
1997年~1998年、韓国をはじめとするアジア諸国では、大恐慌レベルの壊滅的な金融危機に襲われ、自国の市場を半ば強制的に解放することになる。
1999年の旧ユーゴスラビア危機でも、多くの国営事業の民営化の環境が整ったとされるが、それは密かなNATOの軍事介入の目標のひとつであったともされる。
また2000年代においては、2008年の「リーマン・ショック」こそがフリードマンらの危険な市場原理主義者により引き起こされた危機であった、と批判している経済学者も存在する。
いずれの事例でも、国家規模のショック状態がその国へ経済的な「ショック療法」を導入する為に利用されてきたのだ。
これらの国の多くは、民主主義の国家ではあったが その急激な自由市場への移行が通常の民主的な方法・手段で進められたとは限らない。この様な大規模で危機的な状況下では、当該の国民たちの真の要望とは別に、新自由主義の提唱者たる経済学者等に、その国家の経済活動の方向性に関する主導権を任せることになったのだった。
当然乍ら、レーガン政権時代のアメリカ合衆国や昨今ではサルコジ政権下でのフランス等で観られた、自由化への政策を掲げた政治家が民主的な選挙で選ばれた形の下に強力な自由市場政策が導入されたというケースもあるにはあるが・・・。