『ショック・ドクトリン』に打ち勝つには
ナオミ・クラインによると、格差や貧困を増長する主義・主張や政策には反対との立場をとる人々でさえ、新自由主義を単なる経済政策の一つと見做して、新自由主義が持つ国家に対する凶暴な破壊力(「ショック療法」)を軽視してきたことには、大きな反省が必要だと云う。
当然、政変や戦争などの何らかの危機的な状況下では、国家にとっては強力なリーダー・シップが必要だが、そこが新自由主義者の狙いどころであり、それはひとつ間違えば独裁・強権政治の確立に繋がるのだ。危機回避や復興の為には時間的な猶予は無いとして、民主的な議論や手続きを省いて時の政権が強制的に政策を展開することは、その国民にとって取り返しのつかない犠牲を強いることになり得るのだ。
また、民主主義の否定に繋がる大きな危険としてクラインが恐れるのが、各種の気候変動と大規模な自然災害だ。気候変動がどの様な結果を招こうが、また大きな自然災害が発災すれば、「惨事便乗型資本主義」の実行にはいたって好機なのである。
更に気候変動については、いま一つの観点がある。クラインはその理由を、「気候変動を信じるかどうかは、もはや科学ではなく政治信条の問題になっているからだ」とのオーストラリアの政治学者クリーブ・ハミルトンの見解を紹介している。
これは、各種の気候変動に有効な対策を施すことが、自由貿易とグローバル化のより促進を目指す右派の人々(つまりは新自由主義者)にとって不利益となることが多いことを示している。彼らの中には、気候変動論は「富の再分配を狙った社会主義者による陰謀」とさえ述べる者がいる始末であり、富の再分配によって南北格差を是正するように迫られるのことは、「まっぴら御免」と考えているだ。
そこで、かつて先進国と言われた米国や欧州各国、そして我国日本などの衰退と、その他の新興諸国の台頭が国際関係に新たな変動をもたらす中、こうした気候変動や災害発生などの不確定要因も加味して、今後どの様なグローバル・ガバナンスを築けば、「人間の顔をした資本主義」を構築していけるのだろかとクラインは考える。
そしてクラインは、自然災害からの復興における理想的パターンとして、住民の直接参加による復興を挙げており、それには例えば、スマトラ沖地震後のタイ沿岸部における住民活動が好例だとする。
その時、地元の漁師たちが団結して「惨事便乗型資本主義」の悪弊拡大を食い止めた。この動きで活躍したタイ地域連合の代表は「外部の企業・業者の参入を排し、地元社会が責任を持って復興を行うのが望ましい」との声明を出している・・・。
当然だが、現代は資本主義を否定できる時代ではないが、市場原理を妄信することの危険は極まりない。「惨事便乗型資本主義」から私たちの正当なる権利を守るには、国民一人一人の民主主義を貫く気構えと常に権力の動向を監視しする気持ちが必要である。
『ショック・ドクトリン』では、チリなどの南米の諸国が、「ショック療法」体験から20数年後に選挙を通して新自由主義政策を掲げたこれまでのクーデター政権の末裔たちを追放して、自分たちの政権を創り出していることが紹介されている。
結論としては、国民各自が自分たちの権利を守るために立ち上がることが新自由主義に対抗する有効な手段であることをクラインは示唆しているのだ。
新自由主義によって恩恵を受けるのは、ごく一握りの人であることを忘れてはならない。クラインは、新自由主義とは「調和のとれた経済体制を作り出すのではなく、富裕層を更なるスーパーリッチに仕立てる一方で、組織労働者階級を使い捨て可能な貧者へと追いやるもの」であるが、「ショックは一時的なものであって必ず覚醒する」と語り、「その為には国民各自が自ら生産や地域社会の主人公となる必要がある」と結んでいる。