英国のパブとはどんなものでしょうか。そして、そんなパブがどんどん数を減らしているといいます。その理由とは何でしょう? いろいろと調べてみましたので、ご紹介します・・・。
パブ(Pub)とは
パブ(Pub)とは、英国で発祥した酒場のことで、もともとはパブリック・ハウス(Public House)/「公共の家」の略と云われています。
英国内には、街のあちらこちらにパブがあります。全国に(最近では少なくなったとは言え)5万軒近いパブがあるとされ、立ち飲みが中心ですが、主にビールやその他の酒類を提供しています。また、利用客の大半は大人の男性ですが、老若男女を問わず親しまれています。
パブという呼称が正式な形で文献に登場したのは1868年とされていますが、はるかそれ以前から、旅人の宿泊施設がイン(inn)、食事を摂る場所がタヴァン(tavern)、酒類を供する処がエールハウス(ale house)と呼ばれ、長年、別々の形で発展しながら、やがて互いが同様のサービスを重複して提供する様になったとされています。
千年も昔から、タヴァンでも酒を用意したし、一部のエールハウスにも旅人は泊まれたのです。これらは特に1066年のノルマン・コンクェスト以降くらいから13世紀にかけて発達し、またローマ時代から存在していたインは、13世紀以降、治安の安定が進んでから旅行者が急速に増えて発展を遂げました。
この様に各々別の用途から発達しながら、やがて「公共の家」として18世紀頃には融合が進み、地域の集会所、結婚式場、政治活動の拠点などにも利用されていきました。大規模な所では、闘鶏やボクシング、演劇、そしてサッカーやクリケットなどのスポーツ競技も行われ、周辺住民のレクリエーション施設の機能も持つようになったのです。
更に、職業斡旋、給料の支払い場所などにも利用されて、本来の、酒類の提供などだけではなく、簡易宿泊所や雑貨店の機能も備えた地域住民の為の公共の建物として18世紀から19世紀頃にその姿は確立されていきます。
パブの変質と酒場化
しかし、産業革命の進展から英国が「世界の工場」と言われたヴィクトリア女王の時代(在位:1837年~1901年)に入ると、パブの役割は大きく変貌を遂げていきます。それまでにパブが果たしていた地域社会における社会的機能/住民相互のコミュニケーションの場所としての役割が、次第に消滅していったのです。
富を蓄え豊かになった中流階級以上の人々向けの、社交場としてのクラブ、ホテル、レストランやカフェなどが、別途にそれぞれ独自の形で成立していき、従来からのパブは主に下層階級の人々を対象とした酒場になっていきます。(以前の英国においては、パブの内部が二つ以上の区画に分けられている事があり、下層の労働者階級用の場所「パブリック・バー」と中流階級以上の為の「サルーン・バー」は分けられており、入口も別に設けられていました。)
またこの頃、パブよりも大規模でジンとビールを大量に供する、派手な装飾で店舗を飾り立てたジン・パレス(Gin Palace)という業態も登場しました。
こうした他の店舗・業態等の出現や、ヴィクトリア女王が推進した禁酒運動(実際には女王は完全な禁酒は困難なので、飲酒の抑制を勧めたと云います)の高まりもあり、全国的にパブの業容は縮小して公共施設的な要素は無くなり、そのサービスの内容は現在の居酒屋的要素だけとなりました。
しかしながら、現在でもパブリック・ハウス/「公共の家」的な機能を失っていないパブもあるようです。地方のパブに行くと、クリケットグラウンドが併設されていたり、市民の情報交換の場としての掲示板があったり、ファンクションルームと呼ばれる多機能集会室などがあるところも見受けられます。そこにはいまだに政治やボランティア活動に参加して、クリケット大会やチャリティーイベントなどを主宰するパブリカン(パブ経営者)が多いのもの事実です。
パブの衰退と原因
こうして英国に根付いていたパブですが、1970年代以降からは人気が大きく下降していきます。
1970年代は大手ビールメーカーが英国のパブの3分の2以上を系列下におさめており、利益追求のあまり、価格に見合った程度以下にビールの味をコントロールしていました。つまりパブの客は美味しいビールが飲めない状況だったのです。また、同年代は顧客の志向や需要の多様化という問題が始まった時期でもありました。
その後、1980年代に入ると、従来の飲み客だけではなく、幅広い顧客の目をパブに向けるべくマーケティング活動に力を注いだ結果、パブ業界は危機を乗り越えていきます。またビールメーカーもビール製法の改善に取り組み、美味しいビールの開発に注力しました。
顧客の需要の多様化に対応するという点では、従来の伝統や形式にとらわれない多種多様なバーが創造され、再び顧客を取り込むことに成功していきます。
ところが2000年代半ば以降になると、ビール税の値上げや世界的な景気後退で多くのパブが転廃業に追い込まれていきました。2006年以降で1万軒もの店が閉店したとも云い、特に2007年から制定された店内喫煙禁止令が大きくパブ利用客の減少に影響している様です。
今月(12月)10日に発表された、英国のシンクタンクである経済問題研究所(Institute of Economic Affairs)の報告書『クロージング・タイム(Closing Time)』によると、1980年以降、英国内で2万1,000店舗のパブが閉店し、その傾向は引き続き加速しているそうです。そして2006年以降のパブ閉店の主な理由は、屋内の公共空間における喫煙の禁止と酒税増税だったとされています。
またこの報告書によると、英国の15歳以上の人々のビール消費は2003年から2011年にかけて30%も減少しています。また、1人当たりのアルコール全般の消費量も、過去10年で18%ほど減少しています。但し、自宅での飲酒量は増加しているとの報告となっています。つまり英国人はビールを飲まなくなっただけでなく、特にパブでビールを飲むことを好まなくなった、と報告書は述べているのです。
英国では今年まで、酒税を毎年インフレ率プラス2%分上昇させるという制度が実施されてきました。同報告書では、この制度により、賃金が低下する中で飲酒のコストが上がっていったこともパブでの飲酒の削減に繋がっていると報告しています。
こうして、1982年には6万7,800店舗ほどあった英国のパブは、昨年(2013年)には、4万8,000店舗に減少しています・・・。
飲酒離れは何処の国でも同じなのでしょうか? マーケティング業に携わっている友人によると、ここ数年来、日本でも大きな課題として認識されている事の様ですが・・・。
しかし最近では、洋酒ではビールに代わってウィスキーが頑張っているようですし、焼酎類や日本酒全般も堅調のように見えます。
そして、なんたって私の身の周りでは誰も酒離れなどしていませんから、体感ではそのような問題などまったく感じません(笑)。
-終-
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