キネマ旬報、日本映画の男優・女優ベスト10を発表!! 前/男優編 〈18JKI15〉

キネマ3ダウンロード映画雑誌『キネマ旬報』が創刊95周年を記念して、日本の映画俳優、男優と女優のそれぞれBEST10を発表しましたので、前後編に分けて紹介します。

若い人には馴染みのない、既に故人の大御所俳優さんばかりかも知れませんが・・・。

では先ずは、男優部門BEST10からどうぞ。

 

キネマ旬報社は評論家や映画業界関係者ら181人のアンケートで日本映画の男優・女優ベスト10を選出、12月11日に発表しました。

男優部門のトップは三船敏郎さん、先月亡くなった高倉健さんは第4位でした。その他のランキングは以下の通り。

 

【男優部門】

三船551Ct+h4um0L〈1〉三船敏郎 (1920年4月1日~1997年12月24日)

言わずと知れた「世界のミフネ」、日本を代表する映画スターであり、初期は黒澤明監督の映画に多く出演し人気を博した。代表作は『醉いどれ天使』(1948年)や『羅生門』(1951年)、『七人の侍』(1954年)、『隠し砦の三悪人』」(1958年)、『無法松の一生』(1959年)、『用心棒』(1961年)、そして『赤ひげ』(1965年)など多数。また邦画に留まらず、『グランプリ』(1967年)、『太平洋の地獄』(1968年)、『レッド・サン』(1971年)、『ミッドウェイ』(1975年)といった海外作品にも出演している。一般にアクションスターとして評価されるが、その緻密な演技プランも有名だ。

 

森161dK1LeJCAL._SL1079_〈2〉森雅之 (1911年1月13日~1973年10月7日)

父は小説家の有島武郎。本名は有島行光。成城高校卒業後、築地小劇場に入団。後に京都大学へ進学するが中退し、以降、新劇俳優としてテアトル・コメディ、文学座、劇団民芸などの舞台で活躍した。映画での代表作は『安城家の舞踏会』(1947年)や『羅生門』(1950年)、『善魔』(1951年)、『雨月物語』(1953年)、そして『浮雲』(1955年)など。知的で端正なマスクと憂いと翳りを含んだ独特の存在感で人気を獲得したが、ニヒルな二枚目から喜劇までこなすマルチプレーヤーでもあった。

 

中野学校151rSXnFplwL〈3〉市川雷蔵 (1931年8月29日~1969年7月17日)

本名は太田吉哉。1951年(昭和26年)に三代目市川壽海の養子となり八代目市川雷蔵を襲名。その後、映画界に転身し1954年大映に入社。『花の白虎隊』(1954年)でデビュー。『新平家物語』(1955年)、『炎上』(1958年)、『ぼんち』(1960年)、『破戒』(1962年)などや、『眠狂四郎』(1963年~)、『若親分』(1965年~)、『陸軍中野学校』(19667年~)等のヒット・シリーズに出演した。気品ある立ち居振る舞いと舞台で鍛えた演技力が評価された雷蔵だが、普段は地味で目立たない容姿が、撮影時にメークをすると超絶二枚目に一変したと云う。

 

カツシン191ZmuHf1LzL._SL1500_〈4〉勝新太郎 (1931年11月29日~1997年6月21日)

兄は若山富三郎で、妻は女優の中村玉緒。市川雷蔵とともに大映の「二枚看板」として活躍した後は「勝プロダクション」を設立し、映画だけではなくテレビ番組の製作を行った。愛称は勝新(カツシン)。『悪名』(1961年~)『座頭市物語』(1962年~)、『兵隊やくざ』(1965年~)の各シリーズがある。役柄同様に、その私生活は豪快かつ破天荒であった。

 

高倉181dNIlux0SL._SL1435_〈4〉高倉健 (1931年2月16日~2014年11月10日)

1956年に『電光空手打ち』でデビュー。その後、『日本侠客伝』シリーズ(1964年~)、『網走番外地』シリーズ(1965年~)などで任侠・ヤクザ映画のスターの座に就く。以後、『君よ憤怒の河を渉れ』(1976年)、『八甲田山』と『幸福の黄色いハンカチ』(いずれも1977年)、『駅 STATION』(1981年)、『鉄道員(ぽっぽや)』(1999年)、『あなたへ』(2012年)など数多くの作品に出演。また『ブラック・レイン』(1989年)や『単騎、千里を走る。』(2006年)等の海外作品にも出演した。

 

原田161xca9psKhL〈6〉原田芳雄 (1940年2月29日~2011年7月19日)

俳優座養成所(15期)を卒業。『復讐の歌が聞える』(1968年)で銀幕デビューを果たし、映画『反逆のメロディー』(1970年)で」評価された。代表作に、『赤い鳥逃げた?』(1973年)、『祭りの準備』(1975年)、『ツィゴイネルワイゼン』(1980年)、『どついたるねん』(1989年)などがある。尚、芸能界における大の鉄道ファンとしても知られている。

 

松田171RftsKmrkL._SL1112_〈6〉松田優作 (1949年9月21日~1989年11月6日)

テレビの刑事ドラマ『太陽にほえろ!』(1973年)で注目を集めた。その後、主演したTVドラマ『探偵物語』(1979年)が大人気となり、以後、野性味溢れるアクション派スターとして映画の出演も増える。主な作品に『蘇える金狼』(1979)、『野獣死すべし』(1980年)、『家族ゲーム』(1983年)、『華の乱』(1988年)、『ブラックレイン』(1989年)などがある。また妻は女優・熊谷美由紀、長男・龍平、次男・翔太ともに俳優である。

 

役所181GAq7tZ2+L._SL1500_〈8〉役所広司 (1956年1月1日~)

俳優・仲代達矢主宰の無名塾出身で、1980年(昭和55年)のNHK連続テレビ小説『なっちゃんの写真館』でテレビデビュー。映画での代表作は『タンポポ』(1985年)や『オーロラの下で』(1990年)、『KAMIKAZE TAXI』(1995年)、そして1996年に『Shall we ダンス?』が大ヒットとなる。その後、『失楽園』(1997年)もヒット、『うなぎ』(1997年)がカンヌ国際映画祭でパルム・ドールを受賞、海外作品『SAYURI』(2005年)に参加、『バベル』(2007年)ではブラッド・ピットと共演し、以降も多くの映画作品に出演している現役の名優。

 

三国181xImiwvTzL._SL1049_〈9〉三国連太郎 (1923年1月20日~2013年4月14日)

個性派俳優として日本映画界に重きをなし、圧倒的存在感を示した。主な作品としては『ビルマの竪琴』(1956年)、『飢餓海峡』(1965年)、『はだしのゲン』(1976年)、『犬神家の一族』(1976年)、『野性の証明』(1978年)、『マルサの女2』(1988年)、『ひかりごけ』(1992年)など、晩年は『釣りバカ日誌』シリーズ(1988年~)で活躍した。息子に俳優の佐藤浩市がいる。

 

志村171ReJZ-fOkL._SL1441_〈10〉志村喬 (1905年3月12日~1982年2月11日)

舞台俳優を経て、サイレント映画『恋愛街一丁目』で銀幕デビューを果たし、戦前は脇役として時代劇映画などで活躍した。また黒澤明監督作品には欠かせない名優でもあった。戦後の代表作には、『醉いどれ天使』(1948年)、『野良犬』(1949年)、『生きる』(1952年)、『七人の侍』(1954年)などがある。黒澤作品以外では『日本のいちばん長い日』(1967年)や『黒部の太陽』(1968年)、また、初期の『ゴジラ』シリーズ(1954年)などにも出演していた。

 

高倉健さんが亡くなったことで、役所広司さんを除き他の方はすべて故人となってしまいました。現役の役者さんに魅力がない訳ではないと思いますが、ここは素直に先達の栄光を表し彼らの名作を振り返ってみましょう。

さて後編は、女優部門です・・・。是非、ご期待ください。

-終-

 

キネマ旬報、日本映画の男優・女優ベスト10を発表!! 後/女優編・・・はこちらから

 

《スポンサードリンク》