【連載小説】伊藤さんのいた写真 2 〈869TFU29〉

机翌朝、少し早く会社に着いた私は、嘱託だった人の自宅に電話をしてみた。

「朝早くからすみません。」

「いえいえ、ところで何かありましたか?」電話の向こうで、穏やかな声で尋ねてきた。

「実は机の引き出しをあけたら、写真が入っていたんですよ。白黒の古い写真で、裏に伊藤 弥生さんという方のメモが書いてあったんです。もしかして、忘れ物じゃないかと思って。」

 

「写真?いや、私のではないですよ。」

「伊藤さんはご存知ですか?」私は聞き返した。

「伊藤さん?いや、記憶にないな。工場の人かな?私もずっと経理だったから、工場の人だったらわからないな。専務が知っているんじゃないの?」彼は言った。

「専務は知らないと言っていました。」

「会社で一番古い専務でわからなければ、誰もわからないんじゃないかな。」

電話を切ったあと、この写真をどうしようか考えた。やはり捨ててしまおうか。

そう思っていると、出勤してきた専務が近づいてきて「もう一度、昨日の写真を見せてもらえないか?」と言った。

手渡すと「やっぱり、そうか」と呟いた。専務は続けて言った。「この真ん中の白いシャツの女性、社長の同級生のお母さんだと思うよ。この頃、うちの会社も絶好調で工場でたくさん人を雇っていたんだけど、先代の社長が、あちこちいろんな人に声かけて手伝ってもらってたんだ。その中に、今の社長の小学校の同級生のお母さんもいたんだ。」

私は大きな手がかりを見つけたようで、嬉しかった。専務は少し困ったような顔をして「ただ、社長の同級生の苗字が思い出せなくてな。俺もゆうべ、ずっとこの写真の事が気になって仕方なかったんだ。苗字は社長に聞いてくれよ。」と言った。

私は社長が来るのを待った。社長は小さく挨拶をして出社してきた。創業者の息子で今年で48になるが、実に弱々しく、頼りない。この会社に40年近くもいる専務に、圧倒されっぱなしだ。社長の子供時代から知っているわけだから、もっともな気もしなくはないが。私は落ち着いた頃合を見計らって、社長の席に行った。

「社長、実は私の机の中からこんな写真が出てきたんです。裏には、メモがあります。念の為に忘れ物か確認したら、違うようです。ただ、なんとなくこの写真の事が気になって、専務にも見ていただきました。そうしたら、この女性が社長の同級生のお母さんではないかと仰っているのですが。」

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社長は写真を手にとってしばらくじっくり見ていた。

すると「ああ、棚橋くんのお母さんだ。」と言った。

「そうそう、棚橋さん!」専務は大きな声で、社長の机に近づいてきて言った。「あのころは忙しい時期に、何人か社長の同級生のお母さん方が手伝いに来てましたね。」

「ええ」

「棚橋さんは近所だったし、時々うちの工場で働いていましたよね。お母さんが仕事している間、社長と棚橋君は工場の裏で良く遊んでいましたね。」専務はまくしたてるように喋った。

「そうでしたね。」社長は懐かしむように言った。

「棚橋君は今、どうしているんですか?」

「もう5年くらい会ってないです。その時は、自動車販売代理店の営業部長と言ってました。携帯の番号は知っているけど、連絡もとってないです。」

「社長、久しぶりに連絡してみたらどうですか。この写真のことだけで電話するのも変でしょうけど、何かのきっかけですよ。」

「でも・・」社長は、困ったような顔で答えた。

「様子を聞くだけでも、いいじゃないですか。旧友なんだから。ね!」

「うん・・。じゃあ、電話してみるかな・・。」

社長はこういうところは妙に素直で、すぐにカバンから携帯を取り出すと、話し始めた。「あ、もしもし。そう、久しぶり。ああ、元気にしてるよ。え、今日これから?じゃあ昼でも食べながら。うん、11:30に陸橋の近くのファミリーレストランで。」

電話を切って社長は近くで聞いていた私と専務に言った。

「すぐにでも会いたいから、昼でも食べながら会おうということになりました。お二人も一緒に来ますか?」

「社長が良ければ、ぜひ」私はすぐに答えた。

そうして11時30分に待ち合わせ場所についた。

「やあ、久しぶり!」店の奥のテーブルで、立ち上がってにこやかに手を振る色の黒い、スポーツマンタイプの男性がいた。社長と同じ年には全く見えない。逞しく、貫禄がある。

「初めまして、棚橋です。」私達は名刺交換し、しばし近況報告をした。

棚橋さんは昨年会社を変わり、ネット通販会社の企画部長をしているそうだ。

「ちょうど良かったよ。今の会社で新規の商品企画を任されてさ、お前に連絡しようかなと思ってたところなんだ。お前の会社の商品も、ネットで扱ってみようか?よければ、社内で図ってみるよ。」そう言って、食事をしながら全員でビジネスの話でしばし、盛り上がった。

食後のコーヒーが出てきた頃、社長が「実は」と言って例の写真を見せた。

「この写真に写っているこの人。棚橋君のお母さんじゃないか?」見せると

「そうだ。うちのおふくろだ。古い写真だね、どうしたの?」

説明すると棚橋さんは少し考えて、

「じゃあ、おふくろに見てもらおうか。ここから少し行ったところに、弟夫婦と一緒に住んでいるんだ。この後、時間は大丈夫?皆さんでよかったら、一緒に行きませんか?」早速、その場で話はまとまり、電話して訪問した。家静かな住宅街にある少し大きめの一軒家だった。棚橋さんがインターホンを鳴らして呼びかけると、小柄な老婦人がドアを開けた。一目で、あの写真の白いシャツの女性だとわかった。

「まあまあ、何十年ぶり?あまり変わらないわね。社長は大変でしょう。こちらは専務さん?噂では聞いていたわ。営業の元気なお兄さんでしょう?」

専務はがらになく、「ご無沙汰しています。その当時は、どうも。」と恥ずかしそうにひきつった笑顔を浮かべた。広い和室に通され、お茶が運ばれてきた。

「おふくろ、こちらがさっき電話で言った写真だよ。」棚橋さんに促され、私が鞄から写真を取り出し、あらためて棚橋さんのお母さんに写真を渡した。小さく頭を下げて、写真を手に取ると、

「わあ、懐かしい。どこで撮った写真でしょう。初めて見る写真だわ。」と明るい声で言った。そして、

「これがセンムさんでしょう?昔はこんなに髪の毛があったのにね。右端の人が、工場長。りっぱな人だった。面倒みも良くて、こういう行事には必ず来てたものね。そしてこれが私。」中央の白いシャツの女性を指差して言った。

「この頃は30代だものね。若いでしょう?」

「いえ、今も写真の面影が十分あって、まだまだ若くて元気ですよ。」専務が言うと、「無理しなくていいわよ。営業だから口だけは相変わらずうまいわね。」棚橋さんのお母さんが笑うと、皆が笑った。

そして、写真に視線を戻してサマーセーターの女性を指さすと、

「この方が佐伯さん。この人も小学校の時のお母さんよ。」横にいる棚橋さんと社長に向かって

「ほら、あなた達とそろばん塾でいっしょだった佐伯さんていう女のコ。そのお母さんよ。」

「知らないなあ、覚えてないよ」棚橋さんも社長も困ったような顔で答えた。

そのあと、棚橋さんのお母さんは写真を無言でながめていたが

「あともうひとりは、誰だろう?」とポツリと言った。

「伊藤弥生さんじゃないですか?」私が聞くと

「イトウさん?思い出せないわね。ヤヨイさん?うーん、わからないわね。あの頃、工場に何十人も人がいて、忙しい時だけ手伝いに来たり、ちょっとだけアルバイトの人がいたりいろいろあったからねえ。」と言って、再び考え込んでしまった。

「その人を探しているんです。この字も、見覚えがありませんか。」

私は、写真を裏返してメモを見せた。

「まあ、きれいな字!ちょっと、よく見せて。」

そういって写真をしっかり手元に引き寄せて、無言で老眼鏡をかけて読み進めていた。読み終わって、何度も写真を裏返している。

「おふくろ、思い出せないか?心当たりはないかい?」

棚橋さんがお母さんの顔をのぞきこむように言った。

000725_li「そうねえ・・・。佐伯さんに聞いてみましょうか。最近は年賀状のやりとりしかしていないけど、もしかしたら知っているかもしれない。連絡をとってみましょう。自宅の電話番号ならわかるわ。」そう言うと立ち上がって状差しからはがきを取り、電話のところに行き、それを見ながら電話した。

「もしもし、佐伯さん、棚橋です。まあ、ご無沙汰しています。」しばらく話したあと、「工場にいたとき、伊藤弥生さんていう方がいたのを覚えている?実はね・・・」自分の話にじんときているのか、涙声で説明している。

「そうなのよ。写真を見てくれる?本当に?ちょっと待ってね。」受話器を手でふさぎながら、棚橋さんに「佐伯さん、市民会館のサロンに今通っているんだって。これから来るらしいから、会えるわよ。」と言った。

「これから?俺はだめだよ、仕事に戻らないと。」棚橋さんがあわてて言った。すると専務が、私に向かい、

「社長と私も三時から来客があるから戻らないと。君だけ、行きなさい。」そう言うと急いで立ち上がった。

「じゃあ、車で送りましょう。」棚橋さんも後を追うように立ち上がり、社長と専務を乗せると行ってしまった。私は棚橋さんのお母さんを車に乗せて、市民会館に向かった。

≪つづく≫

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