【連載小説】伊藤さんのいた写真 3 〈869TFU29〉

ホール市民会館は、ホールが吹き抜けた壁の白さが際立つ、立派な建物だった。佐伯さんが習っているのは、ちぎり絵の講座だという。
旅館の座敷のような畳敷きの部屋に入ると、10人くらいの人々が集まっていた。大きなテーブルの周りに座って、色紙の台紙に鮮やかな色の紙を、小さくちぎって張り付けていた。花や風景など、味わいのあるやさしい絵が、あちこちのテーブルの上や畳の上に置かれていた。先生は白髪のきれいな、品のよさそうなお爺さんだった。

 

教室の入り口から声をかけ、棚橋さんのお母さんと佐伯さんはお互いに挨拶したが、「もうすぐ休憩だから、ちょっと待っててね。」と佐伯さんに申し訳なさそうに言われた。この方も写真の面影が十分に残っていた。
やがて休憩時間に入り、写真を見せることになった。教室の他の人たちも、お茶やお菓子を手にしながらワイワイと集まってきた。
佐伯さんに「この女性を知りませんか?伊藤さんという方です。」私は写真を指さして見てもらった。そしてあらためて、私からこの写真が見つかったことを、集まった人たちの前で説明した。
話を聞いている途中から、ハンカチを目に当てる人が多くなった。
「不思議な話ね。」「今はどうしているのかね。」「お会いしてお話しできればいいわねえ。」何人かがしみじみと言った。OLD picture (1)
佐伯さんは、棚橋さんのお母さんといくつか言葉を交わし、考え込んでいたが、
「ごめんなさい。わからないわ。お役にたてなくて、ごめんなさい。」と残念そうに写真を返そうとした。ここでも手がかりなしか。私が写真を受け取ろうと、さびしく手を伸ばしたとき、
「ちょっと見せて。」
と、私のすぐ横にいたおばあさんの手が伸びた。そして、その周りにいる人たちと4,5人で輪になって写真を見始めた。その人は虫眼鏡でじっくり写真をながめていたが、ぱっと顔を上げて
「川向こうの、銭湯でよく見た女の人によく似てるわね。」と言った。
「本当かい?」近くにいた背の小さなおじいさんが聞いた。「どこに住んでいた人だい?」

「どこに住んでいたか、わからないけど。いつも丁寧に挨拶する、しっかりした娘さんだったわよ。」
そう答えると、そのおじいさんが
「川向うなら、駅前の不動産屋に聞いてみよう。あそこは、オリンピックの頃からやってるから。昔どんな人が住んでいたかも、すぐわかるだろう。」と答えた。
横に座っていた、別の男性が
「いや、寺の和尚の方がいい。あの和尚は顔が広いし、しかも和尚の次男は小学校の教頭だ。町のことは殆どしってるよ。」というと、
「市議会議員だった、ほら、あの目の大きな人。あの人もいいわよ。あの人はあの辺にアパートをたくさん持ってたから。」別の方からそんな声もあがる。
こんな調子で、その日は夕方まで、サロンの人たちとああでもない、こうでもないとすっかり話し込んでしまった。

 

日が西に傾き始めたころ、市民会館をあとにして事務所に戻ると、社長以下全員でロッカーから古いファイルを引っ張り出して机の上に山のように積んでした。
「いったいどうしたの?」私は青木君に尋ねた。ファイルを並べていた小川さんが手を止めて私に不満そうに言った。
事務所内「専務が帰ってくるなり、重要な探し物が有るから、みんなで手分けしてファイルを全部確認しろと言うんですよ。伊藤さんの雇用関係の契約書がどこかにあるはずだって、言い張って。」
「俺が20歳のころだから、37、8年前だ。つまり1977年、元号なら昭和52年前後の資料だよ。」専務はファイルをめくりながら言った。「それにしても、なんだこの綴じ方は。時期もばらばら、中身もめちゃくちゃだな。」
「きちんと指示もしていませんせしたからね。全て、担当に任せきりになってましたから。私たちも悪いですよ。」社長が呟くように言った。
「この際だから、綴じ直しませんか。いらない資料もあるでしょうし、いい機会かもしれない。」社長としては珍しく前向きな事を言った。
「私、やりますよ。さっき、空のファイルを何冊か見つけたので。」
小川さんはそういうと、探し終わったファイルを次々と1ヶ所に集めだした。
「こういうことでも無いと、誰もやらないよな。」専務が苦笑いすると、全員が薄く笑った。そういえば、事務所では大掃除すらここ何年もやっていない。そんな調子で2時間ほど、全員で事務所にあるファイルを調べ上げた。残念ながら、そこには伊藤さんの手掛かりになるようなものは一切なかった。
「もう処分したんじゃないですか?そんな古い資料、保管義務もないし。」青木君は疲れ果てた様子で言った。
「そうだ、工場の倉庫はどうだ?」いつの間にか椅子にふんぞり返っていた専務は突然、言った。「5年くらい前に、ダンボールで大量に書類を送ったよな?あの中にないか?」専務以外の4人は顔を見合わせた。
「わざわざ工場まで探しに行くんですか?」小川さんがうんざりした表情で言った。我々も同感だった。
「いや、倉庫主任に探させればいい。」専務はそう言うやいなや、工場に電話をかけて工場長を呼び出した。
「私たちは帰りましょう。」社長がそういうと、専務を残して帰り支度を始めた。
「ラインも暇だろうから、探す時間はたっぷりあるだろう?この際だから、徹底的に探せ。」なおも、専務は電話口で工場に指示していた。

 

翌朝出勤すると、事務所の中は見違えるように綺麗になっていた。キャビネットの中に乱雑に並んでいたファイルは、同じ形のチューブファイルにとじられ背表紙までついている。「私が早く来て、やっておきました。」小川さんが得意そうに言った。

ロッカー「なんだか、立派な会社に見えますね。」青木君も目を丸くして言った。

「伊藤さんに感謝しような。」と専務は独り言のようにつぶやいた。

「それで、手がかりになりそうな書類はあったの?」私は小川さんに尋ねた。

「この5冊のファイルに社員名簿、社員の雇用契約書が綴じられています。とりあえず40年前の資料もありましたから、古い順にファイルしました。」

「40年前からなら、伊藤さんの名前もあるはずだよね。」青木君が聞いた。

「それがね、名簿にないのよ。」小川さんがファイルを開きながら言った。

「これが、1977~1978の従業員名簿。(臨)というのが臨時社員、(嘱託)は嘱託社員、その他は良くわからないけど。ほら、棚橋さんや佐伯さんの名前もあるわ。」

確かに、日付の後に、部署名と名前が書いてある。しかし、どこを探しても「伊藤弥生」さんの名前はなかった。前後5年にまで対象を広げて3人で探してみたが、そこにも無かった。結婚して苗字が変わったのではないかとも考え、「弥生」という名前で探しても該当はいなかった。

「どういうことでしょうね?」青木君が首をかしげていった。

「工場に書類が紛れ込んでいるんじゃないかな?」私が答えた。

専務が「もしかしたら・・」と言った途端、電話が鳴った。工場から専務宛ての電話だった。

≪つづく≫

 
《広告》