ある日、小さな島にすむ高校生の陸斗は謎の少女、冬菜に出会う。その少女は記憶を失くしていた。陸斗の祖母の記憶では、二人はかつて出会っていたという。祖母の語る二人の出会いとは?島に伝わる不思議な伝説とは?
入道雲が空を覆い、島中に雨を降らせ始める。
陸斗は予想外の雨に、光代をおぶり走る。そのあとを冬菜は追う。
そして青い瓦が特徴的な、小さな家にたどり着く。
陸斗は屋根の下で、おぶっていた光代を下す。
後ろを振り返ると冬菜が遠慮がちにもじもじしている。
「ん?どうした?」
冬菜はきょろきょろしていた視線を陸斗に戻し、尋ねる。
「あの…本当に良いんですか?」
その質問にふぇっふぇと光代は笑う。
「えぇえぇ。陸ちゃんの友達じゃし、昔もそうじゃったからな」
その言葉に冬菜は礼を言いぺこりと頭を下げる。
「では…おじゃまします」
「おう」
陸斗は玄関扉に手をかけ、スライドさせて開ける。
ガラガラと、木とガラスのぶつかる音が鳴った。
「ただいまー」
陸斗が帰りを告げると、台所から陸斗の母、雪江が出てくる。
「おかえり、陸斗、それにお母さんも。ところで陸斗、お豆腐は?」
その問いに陸斗は顔をしかめる。
「めんどくさいからサボった」
すると雪江は腰に手を当て、もう片方の手で持っていたお玉を陸斗に向ける。
「いつも言ってるでしょ!若い子がめんどくさいって言わないって!サボるなって!もーっ!」
とため息をついたところで、後ろに陸斗に隠れるように佇んでいる冬菜を発見する。
「…陸斗、その子は誰?」
「わかったよ!陸兄の彼女だ!!」
雪江の問いに陸斗が答えようとしたところで、元気な声が乱入してくる。
その方を見ると、チューペットを吸いながらニヤニヤと笑みを浮かべる、妹の夏希だった。
「は!?ちげーよ!」
陸斗は大声で反対する。
その反対の仕方に何かを察した雪江は冬菜の前に行き、深々と頭を下げる。
「陸斗がお世話になっています。不束者ですが、どうか末長く…」
「ちがうっつーのっ!!母さんも話をややこしくしないでくれ!!」
雪江の的外れの行動に制止をかけつつ頭を抱える。
ここまで黙っていた光代が一つため息をつくと、雪江は光代の方を見る。
「雪江、ボケも大概にしなさいな」
光代の言葉に雪江はポリポリと頬を掻き冬菜の顔を見た後、光代に視線を戻す。
「…じゃぁお母さん。この子は?」
「冬菜ちゃんじゃよ。秋田冬菜ちゃん。昔陸ちゃんと一緒に遊んだ子じゃよ」
雪江は頬に手を当て、一瞬考え込んだ後思い出す。
「冬菜ちゃんって…あの冬菜ちゃん!?」
視線を冬菜に戻す。
冬菜の表情は依然と困惑した表情だ。
陸斗は冬菜に出会った経緯と、診療所での診断を雪江と夏希に話した。
雪江はうんうんとうなずいて聞き、夏希はさっぱりわからないという表情をしていた。
「それで、ばあちゃんが冬菜をこの家に泊めればいいって言うんだけど…」
陸斗が語尾を濁らせて言うと、雪江はすんなりと了承してくれた。
「いいわよ!泊めましょう!お母さんが許したんだしね!」
それに、と光代が雪江の言葉を引き取る。
「この家に居た方が、何か思いだしやすいと思うからの」
光代がにっこりと笑窪を作って笑う。
その言葉に雪江もにこにこと笑い、うなずく。
冬菜は透明な安堵の笑みを浮かべて、深々とお辞儀した。
夕食を食べ終え、陸斗は縁側に寝転びながら土砂降りの雨を眺めていた。
居間からは喜々とした夏希の声が聞こえ、台所からは雪江が食器を片づけている音が聞こえる。
陸斗は居間を見る。
冬菜は夏希のボードゲームの相手をしている。その手はどこかおぼつかない。
(そういえば、昔もあんな風におぼつかなかったっけ)
陸斗が小さい頃、冬菜と遊んだ思い出、
二人で、海で遊んだり雨が降れば家の中でボードゲームで遊んだりした。
その時も、ボードゲームを知らないと言う冬菜に一つ一つ教えたっけ、なんて思い出す。
しかしそんな思い出も、今になって思い出す。
ずっとそんなことは忘れていたというのに。
陸斗は視線を土砂降りの曇天の空に戻す。
依然雨は降り続いている。
ズキリ、と頭の奥が痛む。思わず頭を押さえる。
瞼の裏に、大雨の海に溺れる少年の姿が見えた。
「…陸斗さん?」
その透き通った声に現実に引き戻される。
声の方を向くと、冬菜が心配そうにこちらを覗き込んでいた。
「大丈夫ですか?」
この、覗き込む状況はどこか見たことがあるが思い出せない。
陸斗はへらりと笑う。
「あぁ、大丈夫だ」
冬菜は眉を顰めた。そして、何か言おうとしたその時、夏希が後ろから、冬菜を呼ぶ声が聞こえた。
「冬菜さーん、続きー!」
「あ、はい!陸斗さん、無理しないでくださいね」
陸斗の方を向き、そう残すと夏希の元に戻って行った。
陸斗はおう、と返事をした。
そして真顔に戻る。
診療所で川島に最後に言われた言葉を思い出す。
「もし、その子の記憶をすぐ戻せるとすれば…この島の言い伝え通りに行動するのが手っ取り速いんじゃないか?」
『満月が湖に映りし時、すべてがわかるだろう』
冬菜の方を向き、決心する。
(試してみるか…!)
陸斗は立ち上がり、祖母の部屋に向かう。
障子の前に座り、中に声をかける。
「ばぁちゃん、入っていいか?」
「ん?陸ちゃんかい?入りなさいな」
障子をずらし、中に入る。
光代はお茶をすすっている。
「どうしたえ?」
陸斗は太ももの上に置いた手を握り、光代に問う。
「ばぁちゃん、次の満月っていつ?」
光代は腕を組んで唸る。
うんうん唸った後に首をかしげる。
「おそらく明後日じゃなかったかの」
その答えに陸斗は目を見開く。
「そ、そんなすぐなのか…!?」
「おぉ。わしは毎日月を眺め取るからな。今日は見えないけど、明後日にはもう満月になるぞ」
急すぎて困ったと頭を掻く。気を取り直してもう一つのことを聞く。
「じゃぁ、この島の中心の湖って?」
「月光湖のことかい?」
懐かしむように光代は目を細める。
「よく陸ちゃんを連れて行ったっけねぇ」
陸斗は苦笑いする。
光代に手をつながれながら、散々言い伝えを聞かされて歩いた道だ。
陸斗は光代に礼を言って立ち上がろうとしたその時、先ほどの光景がフラッシュバックする。
黙りこむ陸斗を不思議に思った光代は陸斗に問う。
「…どうしたんだい?」
陸斗は唇を一文字に結んだあと、開く。
「…なぁばあちゃん。俺って…海難事故かなんかにあったこと…ある?」
その言葉に光代が凍りつく。
そして柄にもなく、真顔になった後、目つきが険しくなった。
「…詳しい話は、川島先生の方が知っているから、先生にお聞き」
陸斗は疑問の視線を向ける。
光代は肩をすくめる。
「私と雪江は、アンタが診療所に運ばれた後のことしか知らないんだ。その状況を見ていたのは、川島先生だから」
「そ、そうか…ごめん、ばぁちゃん。ありがと」
光代に礼を言い、部屋を退出した。
部屋に残された光代は、冷たくなったお茶をすすった。
海難事故
溺れた光景は、どうやら本物で、しかも自分のようであった。
何故かそれを知っているのは、医者の川島だと言う。
「どういうことだ…?」
そう疑問を口にすると、ブブッと返事をするかのように、ポケットに入れていたスマートフォンが揺れた。
画面を見てみるとSNSに拓真からのメッセージが入っているようだった。
慣れた手つきでパスワード画面を二回クリアすると、SNSの画面になる。
メッセージを確認すると、こう書かれていた。
「陸斗!明後日は満月なんだけど、皆で月光湖にいかねーか!?言い伝えの通りだったらなんか起こるはずだから、見にいこーぜ!!」
ナイスタイミングと言わんばかりのメッセージ。
陸斗は冬菜を見る。
冬菜は夏希とのゲームが終わったのか、縁側で外をぼんやりと眺めていた。
その横顔は夜の雨の中に溶けてしまいそうなほど、透き通っていた。
陸斗の視線に気づいたのか、こちらを向いて、にこりと笑った。
その笑顔もまた、透き通っている。
「どうしたんですか?」
陸斗はあー、と言葉を濁らした後、視線を冬菜に戻す。
そして拓真からの誘いを話す。
「明後日って休みなんだけどさ…一緒に月光湖に行かないか?友達もいるんだけど…」
「え?」
冬菜は驚きの表情を向ける。
それに陸斗はあわてる。
「あ、いや、嫌なら断るし、友達が嫌なら俺だけで行ってくるからいいんだけど…」
手をアタフタと動かす。
冬菜は驚きの眼を細める。
「わかりました」
「え?」
冬菜は笑っていた。
「行きましょう、湖」
「い、いいのか…?」
ハイ、と返事をして笑った。
その笑顔はどこまでも、どこまでも透明な笑顔だった。
今にもどこかに消えてしまいそうな、そんな儚い笑顔。
そんな印象を受けた。
その笑顔は、どこかで見たことがあるような気がして、
胸騒ぎがさざ波のように押し寄せてきた。
―つづく―
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