【連載小説】伊藤さんのいた写真 4 〈869TFU29〉

電話機専務は受話器をとると、

「え?俺の名前が書いてある段ボール箱がある?」と大きな声で聞き返している。

「わかった。誰も手をつけないでそのままにしておいてくれ。これから行く。」専務は電話を切ると私に向かい、「おい、工場に一緒に来てくれ。伊藤さん関係の重要な手掛かりがあるぞ!」そう言うと、急いで出かける支度を始めた。

 

私も大急ぎで机の上を片付け、営業車に向かった。茨城の工場は、常磐自動車道の谷和原というインターを降りて、10分ほど行った町にある。

高速道路を走っている最中も、専務は箱の中身について喋っていた。

「伊藤さんは、きっと製造応援に来ていた取引先の社員かもしれない。」

「製造応援、ですか?」私が聞き返すと、

「そうだ。とにかく忙しいときは、発注先からも問屋からも製造応援に、たくさん人が来ていた。顔も名前も覚えられないくらい、入れ代わり立ち代わりだ。そのリストが、俺の段ボールに入っているはずなんだよ。伊藤弥生さんの名前もきっと、ある。どこの人かわかるはずだ。」

私も、ハンドルを握って相槌を打ちながら、宝探しに行くようで大きく期待が高まっていた。

 

工場やがて高速を降りて、畑の中の一般道路を走り、川を渡って工場に着いた。のんびりと流れる川べりに立つこの小さな工場は、築50年という。かつては入出荷のトラックでにぎわった広い駐車場も、今はがらんとした空間が広がり、雑草も生え、アスファルトの凸凹が年々ひどくなっている。

工場の中も寂しい。節電の為に、入口ホールの電気は全て消されている。日中は入口のガラスドア越しに日の光が入るものの、薄暗い。受付は家庭にあるような小さな電話台に、内線電話がぽつんと置かれている。

その入口を抜けてずかずかと事務所に入るなり、専務はあいさつもせず

「どの箱だ?」とあたりを見渡しながら工場長に向かって言った。

「これです。工場の部品棚の上にありました。」初老で生真面目そのものの工場長が、作業台の上に置かれた箱を見せて言った。確かに箱には、「開封厳禁。専務」と赤いマジックで大きく書かれている。見覚えのないその箱を目にして、私は

「本社から書庫に入りきらない書類を送った時に一緒に送ったんでしょうか。」と言った。「さあな。何が入っているかわからないが、とにかく開けるぞ。」

専務はそう言うと、粘着テープを一気に引き剥がした。箱の中を工場長と共に覗き込んだ。ファイルや書類が雑然と入っていた。かびたような、ほこりっぽいような匂いがする。

 

専務は夢中になって、箱の中の物を漁っていた。

a1180_009655「うーん、役に立たないものばかりだな。」私は専務の動きをじっと見ていた。しばらくして専務は唸った。

「ないなー。」

そして、箱の半分ほど見終わったころ、

「お!こんなところにあったのか!」

そういって水色のカバーの付いたファイルを取り出した。

「これですか!外注先リストですか?」私は気もそぞろに尋ねた。

「手がかりがありましたか?」工場長も身を乗り出した。

「これだよ、これ。当時の取引先一覧。このマルがついている会社から、応援が来てくれていたんだ。ええと、アケボノ製作所。ここだ!工場長、覚えてるか?」

「はい、覚えてますよ。5年前に事務機から撤退して今は自動車部品を作っていると聞いていますが。しばらく、連絡していませんね。」

「ここの会社からは樹脂の部品を納入してもらっててな。この名刺の田中という営業課長、よく無理を聞いてもらったよ。そうだ、電話してみるか。どうしてるかな。」そう言うと専務は名刺を見ながら、電話をかけはじめた。

「営業の田中課長お願いできますか。え?そう、タナカヒロユキさん。事業部長になった?いいですよ。回して下さい。」相変わらず強引な人だ。私と工場長は顔を見合わせていた。

「田中さんですか。大変、ご無沙汰しております。いや、こちらも厳しくて。何のお願いも出来なくて、申し訳ないです。」専務はこのセリフを毎日のように言っている。

「しばらく何のご挨拶もできなくて、申し訳なかったんですが。ええ、いかがですか久しぶりに近況の確認も兼ねてお目にかかれませんか。」専務は立て続けに、電話口でお願いを始めた。

「こちらから伺います。え?工場の様子が見たいからお越しになりたい?いや、お恥ずかしいですよ。ひところの活気がなくて。それでもよろしいんですか。明後日!わかりました。14:00ですね。はい、では必ず。ありがとうございました。」専務は受話器を握ったまま、深々と頭を下げた。

「明後日の14:00。工場が見たいからここにお越しになるそうだ。製造の事業部長だそうだ。えらくなったものだな。二人とも立ち会ってくれないか。あの人なら、絶対に情報をもっているぞ。伊藤さんがどこに住んでいるか、わかるだろう。そしたら、会えるぞ。ついに写真の主に。」専務は上機嫌で、答えた。

「そうなると、少し工場もきれいにしておかないとな。工場長、ちょっと案内してくれよ。」

そう言って専務はあわただしく、作業帽を受け取ると工場に向かった。

私も後を追って、工場に入った。学校の体育館ほどの建物だが、長い製造ラインや作業台は大半が使われておらず、電気も消えて薄暗く、活気が無い。

この数年でパートもすっかり減った。更衣室は荷物置き場になり、食堂は閉鎖され、部品倉庫代わりになってしまった。残ってわずかに働く人の表情も暗く、黙々と作業をこなしている感じがする。

専務は工場長とあちこちを見ながら、立ち止まっては話をしていたが、私に「おい、先に戻っていいぞ。俺はまだ、しばらくかかるから。」そう言って、工場の奥へ工場長と入っていってしまった。そして専務は振り返って、「箱の中もあとで見ておくからな!」と言った。次の日、専務に尋ねてみたが、結局あれ以上は何も見つからなかった。

 

約束の日の14:00きっかりに、アケボノ製作所の田中事業部長がやってきた。誠実そうな、穏やかな表情をした方だった。

「この工場にも、本当にお世話になりましたよ。製造応援で当社の社員も働かせていただいたり、私もよく通いました。」田中さんは懐かしむように、周囲を見回しながら言った。

「うちは事務機も中国からの安い商品におされて、さっぱりです。一般向けの商品は、もう作れません。一部のプロ用の商品でなんとかやっていますが、それも価格が厳しくて、困ったものです。」専務はため息まじりに言った。田中さんも深く頷いていた。しばし、忙しかった当時のことを話し合っていたが、

「ところで」と専務が切り出した。「ある女性を探していまして。37,8年前に御社から製造応援いただいていた方の中に、伊藤弥生さんという方がいらっしゃいませんでしたか?」専務は写真をテーブルの上に置きながら、話した。OLD picture (1)

田中さんは「拝見します。」と言って写真を手に取った。

「これは、もしかして専務ですか?」サングラスの男性を指さすと、驚いた表情で言った。

「おはずかしい。時代の流れは残酷ですね。」専務は自分の腹をさすりながら言うと、田中さんも「全くです。」と大きな声で笑った。

「こちらは、その時の工場長でしょう?立派な方でしたね。」右端のメガネの男性を指さして、感心するように言った。「女性が3人いるけど、どの方が伊藤さんですか?」田中さんは私に聞いた。「このお下げ髪の方です。ご記憶にありますか?」田中さんは私の問いにじっと写真を見つめていた。

「裏にもメモがあるんですよ。」専務はそういうと、写真を裏返す仕草をした。

田中さんは写真を裏返し、しばらく目で追っていた。

「伊藤弥生さん・・・」そう呟くと、じっと考え込んでしまった。

しばし沈黙が流れた後、

「当時、製造応援に3年間、人を出しました。のべ50名ほどです。私もたびたび一緒に製造ラインに入ったこともありますから、当社の社員は、臨時職員の人も含めて、全員の顔と名前を憶えています。その中に、この方はいません。」田中さんはキッパリとした口調で言った。

「そうですか。」専務と私は小さく、殆ど声をそろえて言った。

長い沈黙が流れた。

風に乗って、遠くの踏切の音が聞こえる。ひどく間の抜けた音に聞こえた。                              

≪つづく≫

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