【女スパイの系譜】 マタ・ハリ 〈3375JKI54〉

さて、マタ・ハリことマルガリータ・ヘールトロイダ・ツェレが、実際に何らかの諜報活動に関わっていたことは確かであろう。だが彼女の活動が正確にどの程度のものであったかについては明らかではない。当時のフランス当局によれば、その逮捕の根拠は、ドイツの在スペイン駐在武官がマタ・ハリのことを、ドイツ側のスパイとして暗号名“H-21”と名付けてベルリン宛に送った通信文が、フランス側によって解読されたことで明らかになったと云う。

1970年代に、彼女に関する新たな史料がドイツで発見された。そこでは1915年にドイツ側のワルター・ニコライという諜報部員からスパイのイロハを教わった後、マドリードのドイツ大使館附き武官のアーノルド・カッレ少佐の指揮下で諜報活動に就いたとされ、この頃にドイツ側の暗号名“H-21”が使用されだしたと云う。その後、フランス側に立ったスパイ活動も始めたが、1916年12月には偽情報のトラップ(敢えて一部情報を流して情報漏洩の有無を確かめる手法)にかかり、彼女がドイツ側のスパイでもある嫌疑が深まった。そして驚くことには、連合軍輸送船がドイツ軍の潜水艦(Uボート)に沈められたことも、5万人もの兵士が失われたことも、彼女の裏切りによるとされたのだった…。

だが一部には、不利な戦況を隠し、またはその責任を転化する為にフランス国民に疑惑を提示する目的で、ごく小者で低レベルのスパイであったマタ・ハリにスポット・ライトを浴びせて、必要以上に大きなスキャンダルに仕立て上げたのではないかという説もあるのだ。つまり彼女はフランスの政府にとって多くの軍事上の失敗を擦り付けられたスケープゴートの様な存在だったというのである。

現在の多くの見解はこの説を支持しており、当時、数多くの軍事作戦の失敗を繰り返していたフランス軍と政府当局が、その失敗をマタ・ハリに押し付ける様に仕向けて、自らの責任逃れを図ろうとしていた可能性は極めて大きい。

さて、マタ・ハリがスパイであったことにはほぼ間違いないのだが、どの程度のレベルの情報を盗み、またその対価として幾らの金銭・利得を得ていたのかは、具体的には分かっていない。先に彼女を味方スパイに仕立てておきながら、後になってからは自軍の機密情報の多くを盗まれたとされるドイツ側も、マタ・ハリに盗まれた情報は取るに足らない低レベルな情報ばかりだったとしており、果たしてその諜報能力の程度は定かではないのだ。

マタ・ハリを紹介している多くの文献・資料は、彼女が2流以下のスパイであったと結論づけており、現実的に考えてそれが最も可能性の高い見解ではあろう。

その為か、実際の彼女の裁判もその内容は随分と杜撰であったようで、現代ならばそう簡単には銃殺刑といった重い有罪判決の出る証拠は少なく、もっと軽い処罰に落ち着いたのではなかったかと考えられていて、マタ・ハリはまさしくフランス当局の政治的思惑によって都合よく切り捨てられた大変哀れな存在であったと思われるのだ。

 

尚、彼女の裁判や処刑時に関しての様々な逸話が残っている。先ずは裁判の際に、判決を引き延ばす為に妊娠しているかも知れないと申告する様にと弁護士や支援者から勧められたが、これについては言下に拒否したとされる。

また処刑の際、彼女は自らを銃殺する任務を帯びた兵士たちにキスを投げた、あるいは銃殺寸前にロング・コートの前をはだけて裸を晒して銃殺された、という話も伝わっているのだが、確かに処刑前のマタ・ハリは泰然自若、極めて落ち着いていたとされ、気付けのラム酒を一口ほど受けたものの、目隠しも杭に縛りつける縄もいらないと述べたと云う。そして後日、発見された史料によると、目隠しを拒み投げキスを行ったことはどうも本当らしい。

これらの行動は、彼女自身もある程度はスパイ行為を行ったことを認め、その責任と罰を受けることに関して観念していたとの説を裏付けてはいるが、一方で、パリのオランダ大使館に対して自分は無実であると何度も申し送っていたとの話も伝わるから、真実は今もって解らない…。

更に疑わしい話としては、ピエール・ド・モリサックなる青年が銃殺隊に賄賂を送って、空砲で銃撃する様に手筈をしたが、実際には実弾が発射されて彼の企みは失敗したというものもある。だが、この様な茶番は現実にはありえない事であり、プッチーニのオペラ『トスカ』にヒントを得た創作とされていて、全く信憑性に乏しい単なる噂話である。

最後に、意外にもマタ・ハリの生家は21世紀以降も美容院として使用されていたが、2013年10月19日に火災で焼失したと云うことを紹介しておこう。

 

ちなみに英国での尋問に答えた時に彼女は、「出会った男全てを愛しているが、どちらかと云えば金持ちの銀行家よりも貧しい将校の方が好きだったわね」と供述していて、この言葉は如何にも芝居がかった彼女らしい、それでいて“真実の愛に生きる女”の証言である。

だが不幸な境遇のもと、踊りの才能・能力をステップに女としての魅力を武器として、ただ一人自分の力だけを頼りに何とか世の中を生き抜いてきた彼女の、その末路はまさしく無惨で無情なものだったのである…。

-終-

 

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