《kijidasu! ミニ》 漫才の起源 〈1647JKI35〉

エンタツ・アチャコ77o0400029910796765356
漫才コンビ 『エンタツ・アチャコ』

先日、TV番組でビートたけし氏が、現在の漫才の起源はアボット&コステロの野球ネタを真似た横山エンタツ・花菱アチャコの『早慶戦』からだよ、と言っていたが…。

そこで漫才の起源を調べてみたので、紹介しようと思う。

 

 

近代の漫才は、明治時代の中頃に三河萬歳(万歳)を模倣したものを、関西の芸人が正月の街頭で掛け合いで行っていたものに起源を求めることが出来る。

しかし、正月などで家々を訪れては歌を歌ったり踊りを舞ったりする萬歳の起源は大変古く、奈良時代に中国(隋や唐)から伝来した踏歌(とうか)が平安時代を通じて変遷したもので、新年を言祝ぐ(ことほぐ)歌・舞踊などの伝統芸能となっていく。また雅楽の中には君主の長久を祝う目出度い楽曲として、「千秋楽」と共に「萬歳楽」という曲があり、これがもとになり「千秋萬歳(せんずまんざい)」もしくは、単に「萬歳」となったとも伝わる。

また近代話芸としての万歳は、大正時代に「万才(萬歳から万才に呼称が変化)」と呼ばれたものが鼓や張り扇を使用した滑稽な掛け合い芸として演芸場等で多く実演されていたが、冒頭で紹介した通り、昭和8年(1933年)に横山エンタツと花菱アチャコの二人(『エンタツ・アチャコ』)が『早慶戦』というネタで従来の万才に代わり、今につながる新たなスタイルの先駆けを作った。

彼らは、当時人気のあった東京六大学野球を題材とした『早慶戦』で人気を博したが、それまでの玉子屋円辰や砂川捨丸などの古い形の寄席芸である万才では鼓を脇に持ち和服姿で演じたものを、始めて背広姿で舞台に上がり、互いに「きみ」「ぼく」という言葉を使った、その普段の日常会話を思わせるやり取りは斬新で画期的であった。

翌1934年には人気が爆発し、万才は落語と並ぶ大衆演芸の地位を得たとされる。

更にこの頃、無声(サイレント)映画の弁士らが始めた漫談にちなみ、エンタツ・アチャコが所属していた吉本興業宣伝部によって彼らの万才スタイルは「漫才」と名付けられた。その後、漫才を行う芸人を「漫才師」と呼ぶようになり、また関西圏の漫才を特に「上方漫才(かみがたまんざい)」とも言う。

アボット・コステロ66Abbott_and_Costello_circa_1940s
アボット&コステロ

但しエンタツ・アチャコが、アボットとコステロのネタを参考としたという説には疑問がある。たしかに1936年デビューのアボット・コステロには野球を題材にしたネタが存在するが、『早慶戦』は1933年に初演されているからだ。

ちなみにバッド・アボット(Bud Abbott)とルウ・コステロ(Lou Costello)の二人組は米国の大人気お笑いコンビで、1936年から1950年代後半まで活躍し日本では彼らのコメディ映画『凸凹~』シリーズが有名だ。

 

 
エンタツとアチャコは、楽器も持たず歌も歌わず、しゃべくりだけで通したのだから、その「漫才」は当初はかなり挑戦的な試みだったのだろう。
その後、何回かのブームを経て、今や漫才は我国の演芸にしっかりと根付いている・・・。

-終-

【参考】
ちなみに、横山ノックはエンタツの弟子であり、横山やすしはそのノックの弟子。

 

 

《スポンサードリンク》