【連載小説】伊藤さんのいた写真 7 〈869TFU29〉

20150420_122438[1]月曜日の朝、事務所に電話が鳴った。「先日の伊藤さんの息子さんからです。」小川さんは電話の保留ボタンを押して言った。
「この間の伊藤さんの?」私は電話を取った。先日の帰り際、伊藤よし江さんが「息子に連絡させてもよろしいですか?何か手伝いたいというような事を言っていましたので。」と言っていたのだ。
「はじめまして、伊藤です。」電話の向こうから低い声が聞こえてきた。

 

 

「先日は、母がお騒がせしたようで、申し訳ありません。」
「いえいえ、こちらも情報が先走っていて、御迷惑かけました。それにお母様は足がお悪い中、大変な思いをさせてしまいました。」
私は先日の様子を思い出しながら、話をした。
「ところで、先日のお詫びも兼ねてぜひ、お伺いしたいのですが?」彼は言った。
「そんな、御丁寧に。いいですよ、お気づかいなく。」
「いえ、ぜひお伝えしたいこともありますので、お目にかかれませんか?」彼は熱心に聞いてきた。
「わかりました。」
私は水曜日の午後1時に、事務所で彼と会うことにした。

 

水曜の午後、狭い事務所の中には、青木君や小川さんが昼に食べたコンビニの弁当の匂いがかすかに漂っていた。社長は棚橋さんの会社に行き、専務は毎日、朝から茨城工場に行っている。

「♪」受付のインターホンが鳴った。小川さんが対応に出ると、伊藤さんの息子さんだった。小川さんはすぐに立ちあがり、応接室に通し、「いらっしゃいました。お茶にしますか、それとも麦茶ですか?」と聞いてきた。

その日は少し暖かかったので、私は麦茶を出すように小川さんに伝えた後に背広をはおり、ノックして応接室に入った。応接室といっても、書庫といわれてもおかしくないような、狭い部屋だ。

「お忙しいところ、すみません。」
ソファから立ち上がった彼はすらりとした長身だった。ji-nsu 黒の薄手のセーターに、デニムシャツ。グレーの細身のジーンズ。この古い応接室には全く似合わない、ラフないでたちだった。

「古くて、狭いところですみません。」私は素直にそう言いながら、懐の名刺入れを出した。
「どうも、はじめまして。伊藤です。」
名刺は下半分が山吹色のような黄色、左絵に立体的なロゴのある大胆なデザインだった。「HIデザイン代表 伊藤 博樹」とあった。
「デザイナーさんですか?」私はそういった職業の方とは知己がないために、なんと聞いていいかわからなかった。
「まあ、なんでもやってます。ユルく仕事させてもらってます。」と彼は微笑んだ。私も名刺を渡した。私のほうは、漢字ばかりで縦書きの、ありふれた名刺だ。どうぞ、と私は席を勧めた。

「母から伊藤弥生さんのお話しを聞きました。それにしても、不思議なお話ですね。」と彼は身を乗り出して言った。
「ええ。写真に写っている人達も、取引でかかわった事があったと思われる万にも聞いてみましたが。皆さん、知らないと言うんです。」
「写真は課長さんの机の引き出しから見つかったそうですね。」
「ええ。こちらがその写真です。」私はクリアファイルから写真を取り出し、テーブルの上に置いた。OLD picture (1)
「手にとって、拝見していいですか?」彼が言うので、私は「どうぞ」と頷いた。
彼は手に取ると、指をさしながら順番に写っている人の名前を私にたずねた。彼の指は伊藤さんの上でとまった。
「そちらが伊藤弥生さんです。」私が言うと、彼は顔を寄せて見つめて「母には似ても似つかないですね。」と言って笑った。私も一緒に笑った。同感だった。先日の伊藤さんは色が浅黒く、細い眼をしていた。写真の中の伊藤さんとは対照的だ。
「利発そうな顔ですね。イメージしてたよりもきれいな人だな。」彼は写真を見つめながら言った。
裏に、彼女の字があると説明して見せると、
「ペン字のお手本のような字!こういう字を本当に書く人が、いるんだなあ。」そう言って文を目で追って、軽く頷くと、礼を言って私に返した。

小川さんが麦茶を運んできた。彼は、小川さんに頭をさげて、私が勧めた麦茶を飲んだ。
そして、一呼吸あって
「皆さんは、なぜそんな懸命に伊藤さんを探しているんですか?」と興味深そうに聞いてきた。
「そうですね‥。」改めてそう聞かれると、答えに詰まった。
私は少し考えて、
「伊藤さんは、何か大切なものをひとつひとつ教えてくれるような気がするんです。」と答えた。
「大切なもの、ですか。」
taiyou「ええ。伊藤さんの写真を見つけてから、明るい話題が増えました。社長の古いお友達の棚橋さんとそのお母さん、佐伯さんともお会いすることが出来ました。棚橋さんともそれをきっかけに弊社と取引が始まろうとしています。工場では、かつての取引先の方とお会いし、仕事の成約まで辿りつけました。それに、佐伯さんの教室の方々やその関係で、こうして伊藤さんともお会いしました。」私は伊藤さんに微笑んで言った。
「私も、不思議な縁を感じます。」彼は深く頷いて言った。
「それに、」と私は応接室の壁越しに、事務所の方を見た。
「何よりも、事務所の中が明るくなりました。私達は小さな事務所にいますが、今回の事があるまでは、互いに話をすることも少なかったのです。」

「そうなんですか。」彼は目を丸くして聞いた。
「ええ。ところが、今回の件で皆が話をするようになりました。自分の思った事や、言いたい事を伝えられる雰囲気になったんです。そんなふうに、伊藤さんが大切なことを教えてくれている気がしてならないのです。」私はそう言って、写真にそっと手を触れた。

「大切なこと、か。」
伊藤さんはなんども小さく頷いた。そして指を組んで、何か考えていた。

そして彼は顔をあげると「今回の内容をモチーフにした作品を作らせていただけませんか。」と言った。
「この不思議な話を、映像として表現したいのです。もちろん、伊藤さんをはじめ、皆さんのお名前や顔を出してしまうような事はしません。皆さんが伊藤弥生さんを探している姿を元にしたストーリー展開で、映像化したいのです。ぜひ、作品を作らせていただけませんか。」真剣なまなざしで彼は言った。
「具体的に、どのようなものなのか、もう少し詳しく教えてもらえませんか。」私はよく理解できずに、尋ねた。
「伊藤弥生さんに関する情報を得る為ではなく、今回の出来事を映像化したいという事ですか?」
「そうです。あくまでも映像作品です。人探しの記事ではありません。」

私は急に作品と言われても、思いつかなかった。
「霞骨な質問ですが、費用のようなものは発生しますか?|私は心配になって尋ねた。
「それはありません。私の意思で行う事ですから、御社に何か請求するような事はありません。私も本業が他にあるので、これは趣味の世界です。決して、商売ではないですので。」
「社名も出ない、個人名も出ないとなっている物では、伊藤弥生さんを見つける効果は考えにくいと思うのですが。」
「もちろん、そうです。人を探すだけのものでは、効果はないでしょう。しかし、多くの人にこの話を知ってもらいたい、それが大きな目的です。」
「そうですか。念のために、専務にも聞いておきます。ちなみに、作品はどこで公開されるのですか。」
「はい。私がよく利用するアクセス数が急増して話題の、総合ブログサイトがあるので、そちらにまず載せます。アドレスはお教えしますので、あとでご覧下さい。あとYOUTUBEには毎週のように画像をUPしているので、そちらや、私のホームページでも公開しようと思います。ご心配でしたら、名刺のメールアドレスの名前で検索してみてください。あちこちに、そこそこ名前が出るので、信じていただけると思います。」彼は自信ありげに笑って、そう言った。
「お話しは大体わかりました。作品が出来たら、見せていただけますか。」
「もちろんです。皆さんに確認していただいてから、UPします。」私は了解した事を伝えると、彼は礼を言って帰って行った。

次の日、専務に話をすると「よくわからんが、出来たものを見てから最終判断すればいいだろう。」と言う事になった。

会社は日を追うごとに、忙しくなっていた。
茨城工場は、田中さんの会社から請けた組立の仕事で工場はフル稼働だった。パートも増員し、工場にも活気が戻った。薄暗かったエントランスにも、部品の調達先や納入業者がひっきりなしに訪れるようになり、改装されて明るくなった。駐車場にも、取引先の車が並ぶ事が多くなり、雑草は取り除かれてアスファルトも修復された。加えて、棚橋さんの会社とも取引が始まり、さらに工場の稼働率は上がった。
私達も契約関係の業務や、請求書処理などの業務が激増し、休む間もないほどに忙しくなった。「極端ですよね、急に忙しくなって。」小川さんはぼやいた。事務所
「経理の人員を増やして下さいよ。」
「人事担当も必要ですよ。経理をやりながら、工場の求人対応もするなんて無茶苦茶ですよ。」青木君もロをとがらせている。私も、契約書の山と格闘していた。見慣れない法律用語に追われる毎日だ。
しかし文句を言いながらも、仕事をしているという思いは嬉しいほどに強かった。伊藤さんの写真が出てくる前は、一日が長く感じ、会話もない事務所で無言の行のような日常だったのだ。

 

そんな日々が続き、ひと月ほど経って、デザイナーの伊藤さんから電話があった。作品が出来たという内容だった。

「大変にお忙しいと思いますが、ぜひ皆さんにお見せしたいのです。」

私から棚橋さんと佐伯さんに声をかけると、来社を約束してくれた。専務は忙しさもあって、かなり渋っていたが、「昼休みの時間なら」と承諾した。

≪つづく≫

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投稿者: YUSHIMA

読んでいただいてありがとうございます。どちらかというと自分が見た風景のスケッチという雰囲気が強いものを書きますが、想像の世界を一緒に楽しんでいただければ幸いです。ネタを求めて街を歩くのが趣味です。次回を期待していただけますように。