【漢詩の愉しみ】 題不識庵撃機山図《不識庵機山を撃つの図に題す》(川中島) 頼山陽 〈3817JKI11〉

【漢詩の愉しみ】と題して、頼山陽の『題不識庵撃機山図』を取り上げることにしました。何だかとっても難しそうな題名ですが、そこで先ずはこの題名の中の“不識庵とか“機山”という語句の意味は何か? ということから説明させて頂きます。

結論から申し上げると、どちらも我国の有名な戦国武将の名前であり、すなわち“不識庵”は上杉謙信、“機山”は武田信玄のことであり、そしてそれが解ればこの漢詩の内容についても、何となく思い描き易いのではないでしょうか‥‥。

しかも同漢詩の通称は『川中島と呼ばれていることから、そうなると間違いなく歴史好きな人にはピンとくるはずで、つまりは上杉謙信不識庵)が武田信玄機山)を討ち漏らした川中島合戦の情景を描いたものなのです。

また、特に本稿ではこの『題不識庵撃機山図』にて描かれている戦いの情景に即して、実際の「(第四次)川中島合戦」の背景や推移について簡単な解説を試みたいと思います。

 

『題不識庵撃機山図』(不識庵の機山を撃つの図に題す)

鞭声粛粛夜過河 (鞭声粛粛 夜河を過る)
暁見千兵擁大牙 (暁に見る 千兵の大牙を擁するを)
遺恨十年磨一剣 (遺恨なり十年 一剣を磨き)
流星光底逸長蛇 (流星光底 長蛇を逸す)

 

通訳と解説

解り易く現代語に訳すと、

「上杉謙信の軍勢は馬に当てる鞭の音も立てずに、夜の内に千曲川を渡って川中島の敵陣近くに着陣した。夜が明けて霧の晴れ間に武田勢が観たのは、多くの上杉軍が大将旗を押し立てて今まさに自軍に襲い掛かろうとしている姿であった。打倒信玄を誓ってきた謙信は、遺恨を胸にこの十年に亘り磨きぬいた一剣を振りかざし、信玄に対して今まさに深々と斬り込んだが、その刃が流星の様に光る一瞬の間に、信玄は絶体絶命の危機を脱して逃れ去った。こうして信玄を撃ち漏らしたことは謙信にとっては至極無念なことで、その心中を察すると誠に同情を禁じえない。」

といった感じでしょうか。

暁見千兵擁大牙に関して、「夜が明けた時、多くの将兵に守られ大将旗を掲げた敵将・信玄が眼前に居た」のを観たのは上杉勢の方であるとの解釈が稀にあり、この場合は全編を通して上杉側が主語となります。

 

さてこの漢詩『題不識庵撃機山図』は、上杉謙信と武田信玄が激闘を繰り広げた「川中島合戦」全5回の内で、4回目にあたる永禄4年9月9日~10日(1561年10月17日~18日)の戦い(別名を「八幡原の戦い」とも)において、乱戦の最中に手薄となった信玄の本陣に単騎で突入した謙信が、信玄を見つけて斬りかかったところ、これを信玄が軍配(または鉄扇)で受けて応戦したという故事に因んでいるのです。

特に前半部の、夜陰に紛れて密かに進軍する上杉軍の行軍の様子とその後の両軍の劇的な遭遇の場面の描写は秀逸で、更に後半へと繋がる、静から動へと移る場面転換の妙が素晴らしいと云えるでしょう。次いで遺恨を胸に信玄に迫った謙信の烈しさを表現、瞬時にして爆発的な勢いを感じさせる見せ場(クライマックス)が訪れますが、その直後に長蛇(信玄)を逸してしまった謙信の口惜しさやその謙信への同情を語って静かに終わる流れが圧巻の漢詩です。

尚、題名に出てくる“不識庵”(より正確には“不識庵謙信”)とは上杉政虎の法号ですが、但し史実ではこの合戦においては上杉謙信はまだ上杉政虎(それ以前は長尾景虎、同年12月には将軍義輝の一字を賜り輝虎と改めた)と名乗っており、出家し法号を用い始めるのは元亀元年(1570年)12月のことでした。そこで即ち江戸時代以降に多く見られた、この時の謙信を出家後の行人包みの僧体として描くのは誤りと考えられるのです。

また“機山”は武田晴信(後の信玄)の道号ですが、この道号とは出家者が法名・法号の他に自己の悟りの内容や願いを表現してつける名前のことで、後には本来の意義が薄れて単なる別名・通称となりました。ちなみに晴信は、この合戦の2年ほど前の永禄2年(1559年)2月に出家して、以降は“徳栄軒信玄”という法号を名乗っています。

 

更に、使用されている語句の解説としては、“粛粛”とは静かな様子やひっそりと行動すること、“大牙”とは大将旗(旗印)を指し“長蛇”とはこの詩では信玄のことになります。“流星光底”の意味は少し長くなりますが、「流星(流れ星)の如くに(キラッと)剣を抜いて斬り払った時の一瞬の光」とでも理解してください。また、鞭声粛粛の読みは「べんせいしゅくしゅく」、流星光底は「りゅうせいこうてい」となります。

漢詩としての構成は、平起こり七言絶句の形であり、下平声五歌韻の「河」・「蛇」と、下平声六麻(りくま)韻の「牙」が通韻として使われています。

ちなみに本来の題名は『題不識庵撃機山図』ですが、通称の『川中島』の方が解り易く簡潔な為に広く世間に知られています。

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