ドラゴンと龍の違い、そしてドラゴンと戦う人々について 〈2354JKI40〉

海外(欧米)のファンタジー小説を読んだり、映画やテレビを観ると、悪の化身であるドラゴンを斃す英雄譚に数多く出会います。でも東洋では、西洋のドラゴンにあたる龍はほとんど討伐の対象にはなっていませんよね。この違いはどうして起きたのでしょうか?

その理由を探るとともに西洋におけるドラゴンと戦う人々の伝説について、幾つかのお話を記事としてまとめてみましたので、興味のある方は是非、お読み頂ければ幸いです。尚、東洋の龍については諸子百家先生の記事、『龍の創造 -前篇- (東洋/中国における龍の成立の背景と過程) 』及び『龍の創造 -後篇- (東洋/中国における龍に関する話題の数々) 』の参照をお勧めします。 

 

東洋の龍の場合、大凡が善なる者の化身か神の代理者(偉大なる霊力を備えた霊獣、神に近い精霊もしくは特定の場所の守護者や中立の裁定者)であるのに比べて、西洋のドラゴン(「ドラゴン」という言葉自体はギリシア語の“drakon”=視る者」に由来しているとも)に関してはそのほとんどが邪悪でおぞましい存在(悪神や魔王などの眷属だったり山奥の洞窟や廃城に住まう強欲で凶暴な厄介者、財宝を守る怪物)とされている伝説や伝承が多い様です。勿論、いずれの場合も例外はあるのですが、その性格や立場は東西で逆転している様に感じられますよね。

良く云われることは、西洋人と東洋人の宗教観や自然との接し方の違いが、このドラゴン(竜)と龍の性格の違いに現れている、とされるのです。西洋人は自然を制御しようとし、東洋人は自然との共存を望んだとされます。その結果、西洋ではドラゴンは人間と敵対することが多く、人間はドラゴンをねじ伏せて支配下に置こうとしました。それに引換え東洋では共存相手として龍を尊重し、場合によっては敬うことも多々あったのです。更に中華文化圏では時々の皇帝は自身を龍の子孫であると称し、即ち龍は支配者一族の祖先の位置に祭り上げられ当然ながら神様扱いとなります。こうして両者は正反対のポジションを与えられていきました。

ところでドラゴン・龍ともに、どちらも地上を走ることなどはなくて空を飛んで移動することが多いのですが、龍は海竜や大蛇のイメージであることが一般的ですが、ドラゴン(西洋の竜)は古代の恐竜である翼竜の印象が強い。また龍は風雨を伴い飛翔して、激しい雷雨などにより雷撃や洪水などを起こしますが、ドラゴンは強力な火炎を吐き、尻尾の剛力や噛み付きなどによる攻撃力が甚大です。

そして西洋のファンタジーや神話・伝説などにおいては、ドラゴンは幻獣の中でも特に強大な存在として描かれ、中でも邪悪なそれを倒すことは正義の騎士・英雄の務めでした。またその討伐の為に神様などから与えられた武器の類は、絶大な力を秘める神聖な武具と讃えられたものです。

こうした中で、悪者であるドラゴンを退治する仕事を生業とする者たちの物語があまた存在しましたが、特に印・欧人(インド・ヨーロッパ語族)に伝わる“竜殺し”人の典型的なパターンとしては、「 英雄“”が、怪物=大蛇/ドラゴンを神や賢人の助けを借りて苦労の末に討伐して、宝具・宝物を獲得し妻となる娘(王女など)を救出する」というものが多く、これはインド、イラン、アルメニア、ギリシア、ローマ、そしてその他のヨーロッパ各国の英雄譚・叙事詩等で描かれる伝説・伝承の多くに当てはまるとされ、ドラゴン退治の場面は英雄物語の重要な要素ともなっているのです。

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