それでも、ヴォイニッチ文字をなんとか確定し、元の文章をラテン語や中世英語などと仮定して暗号の解読を試みる活動は数多く行われてきましたが、結局のところ、現在に到まで誰も解読には成功していないのです。
この原因は、ヴォイニッチ文字の特定が間違っているからかも知れません。また元の言語の想定が間違っている可能性もあるでしょう。更には、単文字換字法に他の何かの暗号システムが組み合わさっている可能性も否定は出来ませんが、そもそも暗号ではないということも考えられます。
「ヴォイニッチ手稿」が発見されてから100年以上にわたり、世界中の高名な言語学者や数多くの暗号解読者が挑んだものの、この古文書は解読されなかった為、現在では暗号文書以外である可能性を考える研究者も多くいるのです。
【中編】で触れた様に、暗号研究者ウィリアム・F・フリードマンも、この手稿は暗号ではない可能性が高いと指摘しました。
フリードマンは、この手稿の作者は暗号化を考えていない、というのです。何故ならば「ヴォイニッチ手稿」は、普通の文章と比較しても反復部分が多く解読され易い構成となっていて、暗号化を目的としているのならばあり得ない作文作法といえるからです。
そして彼は、「ヴォイニッチ手稿」は暗号文書ではなく、人工的に作られた言語、つまり人工言語ではないかと主張しました。自然発生的な言語とは異なり、その反復性や文字使いの特性が人工言語である可能性を強く感じさせるというのです。人工言語は、大きくは完全にゼロベースから作り上げられた「アプリオリ言語」と、何らかの他の自然言語を参考として作られた「アポステリオリ言語」の2種類に分かれます。
フリードマンが考えていたのは、手稿を人工言語と仮定して手稿に使われている文字をカテゴリ別に分類して、意味を割り当てていくことで解読するというものです。
それは、例えば「A」は自然に関する内容を表し、「B」は人間が(創)作ったものや人間に関わるものといった具合に大分類を構築します。そこに母音や子音が連なることで、さらに細かい中分類が可能となります。「A」に続く文字の連なり方で、天文や気象・天候、地質や地形・地理的な要素、動物の関連、植物などに関する事柄、という具合に分かれていきます。更に続く文字や文節で小分類が為されていくのです。
当然ながら、既に述べてきたように「ヴォイニッチ手稿」には自然言語の影は見当たりませんから、「アプリオリ言語」もしくは「分類学的言語」といわれるものなのだろう、と推測されたのです。
しかも「ヴォイニッチ手稿」で使用されている文字の並びは、これらの人口言語と似ている性質があり、それは、接頭語や接尾語のように見える文字の出現状況などに顕れていて、極めて「アプリオリ言語」的であるとも云われています。
但し、「アプリオリ言語」などの人工的な「分類学的言語」は、そこに現れるあらゆる語の意味が、個々の文字や音節、もしくはその組み合わせから規定される言語なので、そこにある分類体系が非常に複雑となり、言語としてはかなり使いにくい傾向にあると云われています。
人工言語説の支持者には、フリードマン以外にも英国の暗号研究者であるジョン・ティルトマン准将がいました。
彼は、類似の人工言語を色々と調査した結果、手稿の文字列に17世紀中頃以降に考案されたいくつかの人工言語との類似点を多く発見しました。
そして、「ヴォイニッチ手稿」で使用されている言語が人口言語の先祖の一つではないか、と推測したのです。
しかし残念なことに、フリードマンとティルトマンは、それ以上、人口言語説に関する研究を進展させることはなく、亡くなってしまいました。
その後、人工言語説を引き継いで研究した者はなく、この有力な説の正誤に関しては明快な結論には至っていません。
比較的最近の解読への挑戦としては、1987年にはアマチュアの文献学者ジョン・ストイコが手稿はウクライナ語から母音を除いたものであるという説を発表しました。
しかし彼の復号した文章はまったく意味を為さず、手稿の挿絵とも、あるいは中世ウクライナの歴史や文化などと比べても一切の関連性が見当たらず、ほとんど評価を得られませんでした。
その後、レオ・レビトフという医師が手稿は中世フランスの異端宗教であるカタリ派の信者によって書かれたものであるという説を主張しますが、彼が解読した文章は、現存している多くのカタリ派の文章とは明らかに反しており、レビトフのこの説も多くの研究者から否定されてしまいました。
最新の認識では、手稿の95%はコンピューターなどの力を借りた現在の技術であれば解読が可能であるとも言われていますが、専門家の中では、「ヴォイニッチ手稿」は高値で取引するために偽造された古文書で、無意味(デタラメ)な文字列が書かれているという説も有力でした。(いや、現在でもこの考え方は有力です)
このデタラメ説については、近年、英国のキール大学で講師を務めるコンピューター学者のゴードン・ラグの説が注目を浴びました。彼は2004年、「ヴォイニッチ手稿」に見られる特徴を、『カルダーノ・グリル』という道具を使うことで再現できると発表したのです。
ラグによると、1550年にイタリアの数学者であったジローラモ・カルダーノが考案した穴の開いたカードを利用して、手稿の文書とそっくりな構造の文字列を作成出来ることを発見したそうです。
こうして作り出された文章には何の意味もありません。つまり彼は、「ヴォイニッチ手稿」に記載されている文字列は無意味でデタラメな文章であると主張し、また、その具体的な制作方法を再現したという点で大きな注目を集めたのでした。
しかしこのラグの発表も結局、手稿と似通った文章を作れるということを示しただけで、確実にこの方法が利用されたという証拠はどこにもありません。また一見、似ているように見えても、その類似性に関しての論理的な証明は無く、科学的な根拠は大変乏しいと批判されてしまいました。
また文章の構造を言語学的に調査すると、文章の無秩序さの具合、デタラメの程度などを示す「エントロピー」と呼ばれる指標が割り出されるのですが、ラグの文章は分析の結果、このエントロピーが高いとされました。勿論、この文章は始めからデタラメな文章として作られているのですから、当然の結果です。
ところが「ヴォイニッチ手稿」の文章は、これまでの同様の調査分析では、総じてエントロピーがきわめて低い、という結果が出るのです。
このエントロピーが低いということは、ある意味、自然言語に近いとも考えられ、この点が手稿の文章についての謎を深めている大きな原因なのです。ところがエントロピーの分析結果が低いからといって、意味のある言語であるという証明にもなりません。
しかしこの点が、デタラメ説が決定打とはならない論拠となっていることも事実なのです。そしてこの手稿に記載されている文章の、言語的な複雑性はデタラメ説を跳ね返すだけの一定の構造を持っていることもまた明らかであり、独特の曖昧でかつ、それなりにしっかりとした構造を持った緩やかな規則性がそこには存在しているのです。
こうして、長年にわたり多くの研究者たちが手稿の謎にチャレンジしてきましたが、結局のところ、未だに謎の解明には誰も成功していないのです。
そんな中で、現在の有力な仮説の一つとしては、「ヴォイニッチ手稿」の著者は非常に優れた薬草学者であり、自らの知識を一部の弟子にのみ伝えることを目的に、他の競合者などにその職業上の秘密を盗まれない様に秘密の漏洩を防ぐ為に、このような暗号化された文書を作成したというのです。
しかし、何故15世紀~16世紀といった年代に、この様な複雑な暗号が必要だったのかは、未だに納得のいく説明が為されていません。たとえ特殊な知識を守るためでも、その年代の人々にはここまでの暗号を作りあげる必要もなく、またその様な技術や経験も無かったハズなのです・・・。
もし「ヴォイニッチ手稿」の謎の解明に挑みたいという人がいるならば、是非、挑戦してみて下さい。 下記のサイトから無料で自由に閲覧/DLが可能です。
奇跡は貴方に宿るかも知れません、健闘を祈ります。
どちらにしても凄いなと思うのは、この手稿の成立年代に、こんな手の込んだものを作り上げた人がいた、ということです。例え意味の無い偽物、つまり暗号でも何でもない文書だったとしても、大変な労力(というより、その創作の想像力が素晴らしい)ですよネ。
このまま謎が解明されない方がロマンは残りますが、暗号が何を意味するのか解読されることにも期待してしまいます・・・。
-終-
【参考】
「ヴォイニッチ手稿」の著者といわれている人物には、ロジャー・ベーコンの他にヒルデガルト・フォン・ビンゲン(1098-1179)やコルネリウス・ドレベル(1572-1633)、そして有名なレオナルド・ダ・ヴィンチ(1452-1519)などがいる。
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